不自由なルールを破りたい!ってなったときに読んで欲しい記事。
法律、校則、マナー…。
世の中には無数の『ルール』が存在する。
そして私達は当然のようにこれらを守ることを求められ、ルールに反するような場合には、制裁等の何らかの不利益を被ることもある。
このようなルールは私達の自由を制約するものである場合が多い。
にも関わらず、なぜ正当化され、受け入れられるのか。
それは、ルールに『必要性』が認められているからである。
例えば、日本には「人を殺す」事を禁ずる法律がある(刑法199条)。
このルールによって私達は好き勝手に人を殺せないこととなる。
つまり自由が制約されているということとなる。
しかし、「人の生命の安全を守る」という必要性があり、これを皆が受け入れているからこそ、このような自由への制約が正当化されるのである。
逆に言うと、必要性が認められないような場合にはルールは守らなくて良いはずである。
このような場合には、もはやルールは不当に自由を制約する邪魔なものにすぎない。
例えば、「赤信号のときには道を渡ってはいけない」というルールについてちょっと考えてみよう。
このルールの必要性は、「交通事故の防止」にある。
したがって、交通事故が絶対に起こり得ないような場合(現実にそのような状況が存在するのか不明だが)には、赤信号を無視して道を渡っても良いはずなのである。
このように書くと、私が皆さんに「必要性が感じられない不当なルールは積極的に破っていこう!」と勧めているようにも思われるかも知れない。
しかし、自らが不当だと考える事のみをもって直ちにそのルールを破る、というのはあまり賢明な行為とは言えない。
なぜなら、最初にも触れたように、ルールに違反すると制裁や罰則、バッシングのような何らかの不利益を生じてしまう場合があるからだ。
そのような場合にこの不利益を回避するためには、ルールが不当である事を主張し、不利益を加えてくる者(刑罰であれば国家、バッシングであれば国民みたいな感じ)を説得するしかない。
しかし、この説得にはとんでもない時間、労力、金を使わざるを得ないこともある上、必ず成功するとも限らない。
さらに、そもそも自分が想定していなかった、見落としていた必要性がある場合も考えられる。
このように、自らが不当だと考える事のみをもって直ちにルールに違反する、というのはリスクが大きすぎる。オススメはできない。やめた方が無難だ。
以上より、どのような状況であってもルールにはとりあえず従っておくのが無難である。
たとえそれがどんなに不当なルールだとしても、だ。
こうしたリスクを熟慮し、それでもなおルールに違反したいのであれば、好きにすれば良いと思う。
ただ、ほとんどの場合でリスクを上回るメリットがあるとは思えない。
という訳で、不当なルールに抵抗する最も現実的な方法は、『ルールに違反せず説得をする』しかないと思う。
不当だと感じるルールには積極的に声を上げるべきだ。
(参考までに。『不当』についての判断基準等について書いています。)
(同じような考え方で『許されるべき浮気』について考えてみました。良かったら読んでください。)
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