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『あこがれ』、とか『理想の自分』とか言うけどさ…

よく、「~になったら自分は変われる!」とか、「~に合格したら人生変わる!」とか、「もう少し~の能力があったらな」とか言うが…。

これは私の経験と私が知った情報に基づく個人的な意見に過ぎないが、こういった類の話は大抵、仮にその『あこがれ』の対象たる力や物が手に入ったとしても自分の期待している程の変化は無い、と思う。

大体、地位や名誉なり、資格なり能力なり学歴なりに対する『あこがれ』やそれを手にしたいという欲は、それらを現実に手にしている人を見て生じるもの。

彼らの姿と自分の現状を比較し、彼らに近付きたい、彼らと同等以上になりたい、と思っているのだ。

しかし、資格や地位や名誉の類は、私達が『あこがれ』を抱いている人々そのものではない。

彼らを形成しているほんの一部分にしか過ぎない。

だから、彼らと同じ資格なり地位なり名誉なりを取得したところで、幾分かは彼らに近付いくことはできるかもしれないが、本当の意味での『あこがれ』の人になることは永遠にできない

また、そもそも人類誰一人として同じ人間はいないのだから、どんなに努力しても『あこがれ』の人そのものにはなれっこない。

はじめからなれる訳の無い人を目指すより、世界に一人しかいない『自分』というものを大事にし、『オリジナリティを追求』するべきだろう。その際に他人を参考にする程度に『あこがれ』るのならば問題無いだろうが。

最後に。少し話が本筋から逸れてしまうが、InstagramやTwitter等のSNSで他人の幸せそうな投稿を見て自分の現状と比較し、劣等感などのネガティブな感情を感じてしまうことがある。

(ある研究によると、自分が他人の投稿を見て想像する投稿主の幸せ感は、実際のものより過剰に大きく見積もられる傾向にあるらしい。要するに、あなたが羨む程、実際はインスタなどの投稿主は幸せではないのだ。)

このような『他人との比較』は基本的にメンタルに悪いとされているが、これも『オリジナリティを追求』することで緩和、解消されるらしい。

そう考えると、SMAPの『世界に一つだけの花』は心理学的、精神医学的にも良い歌ということになろう。(笑)

そうは言っても、何かと他人と比較してしまうのが人間。

難しい問題だ。


ここまで読んでくれてありがとうございます。

いわゆる『他人との比較』のお話は、ここでは書ききれないくらい深い話なので、気が向いたらまとめようかと思います。


では。

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