マスコミ批判
はじめに
今回は、現在のマスコミ、報道の在り方等について色々と私の考えを書いてみたい。
本当はマスコミや報道関係者に読んでもらいたいのだが、まあ私の発信力じゃ彼らにこの記事は届かないだろう(笑)。
もちろんそれ以外の方にも、情報収集やSNS等での情報発信をする上で有益な内容を書いているつもりなので、ぜひ最後まで読んで欲しい。
では以下本文。
不正確な報道、誤解を招くような報道は避けるべき
しっかりと調査せずに客観的事実に反する情報を発信したり、誤った理解を受け手にさせるような表現は避けるべきだ。
こうした事は当然だと思われるかもしれない。
しかし、実際の報道を見ていると、そうも思えないのである。
例えば、刑事事件が起きて、犯人が逮捕されたときの報道。
ニュース等では、犯人とされる容疑者の氏名、年齢、職業、容貌、事件の内容等のプライバシー情報を一般人に向けて広く報じている印象だ。
このような報道は、その犯人とされる人が犯人に間違いない、という印象を抱かせるものだ。
逮捕=有罪、刑罰、といったような誤解の原因となりうる。
法律上は有罪判決が確定するまで、一応無罪として扱われる。
つまり、逮捕段階では無罪として扱われるべきで、冤罪の可能性もあるのだ。
仮に冤罪だった場合、このような報道をしたメディアはどのように責任を取るのだろうか。
メディアは誤認逮捕した警察や検察に責任を押し付けるのだろうが、メディアが報道のやり方を変えれば傷は浅くて済むのだから、メディアにもそれなりの責任があるだろう。
このような報道は裁判の量刑で考慮されたりする程重大なものだし。
取材のやり方には気を付けるべき
報道機関は取材のやり方に気を付けるべきだ。
取材活動というのは時として個人の権利を侵害したり、個人を傷付けたりする。
例えば、事件や事故で大切な家族を亡くした遺族に対して無理矢理心境等をインタビューしている映像を見た事のある人もいるだろう。
あんなのはもってのほかだ。
人としてどうかと思う。
報道は中立であるべき
報道というのは、事実を中立の立場で客観的に伝えるべきだと思う。
完全に中立は難しいかもしれないけどね。
誰かにとって都合の良い情報だけを流すのはよろしくない。やめるべきだ。
この点については以下の記事も参照。
取り上げる事項の恣意的な選別をやめるべき
これは仕方無い事なのかもしれないが、世の中の全ての事件事故、イベント等が報道されるわけではない。
それは受け入れざるを得ない事なのだが、問題は、報道されるか否かの明確な基準が無い事だ。
どんな事件事故がどれくらいの規模で報道されるのか、されないのか、国民には分からない。
前述したように報道には人の人生を左右し得るような重大な影響力があるのだから、このあたりの基準を明確にして、国民の予測可能性を確保して欲しい。
そうしないと、報道機関が恣意的に伝える事実とそうではない事実を選んでしまい、ひいては国民に誰かにとって都合の良い思想を抱かせるような事態になるおそれもある。
今回はこんな感じ。
ここまで読んでくれてありがとう。
報道の質の向上を願って。
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