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「私は私だから」三つ子としての視点と、思考や葛藤について知る

兄弟や姉妹がいるってどんな感覚?

なかでも珍しがられることの多いであろう「三つ子」の存在。
今回は三つ子として生を受けたかなやんさんに、当事者の視点で話を聞き、「今のかなやんさん」に至るまでの過程を、三つ子としての視点を織り交ぜながら、これまでの経験をもとに紐解きます。

私たちに求められる関わり方とは?

当事者にしかわからない気持ちや葛藤、胸の内をお届けします。




【プロフィール】

かなやん

東京で三つ子の末っ子として誕生し、育つ。
大学卒業後はベンチャー企業の人事採用として2年働き、現在はメールマーケティング業界で活躍中。

大学在学中は、7か国の渡航経験があり、好奇心と行動力に満ち溢れた性格の持ち主。

現在は株式会社TBIPPOが主催する『POOLOJOB』1期生として、ライティングを勉強中。その他、様々な資格取得に向けて、たゆまぬ努力で自己研鑽に励んでいます。





三つ子として生まれ育った幼少期


ー自己紹介の際、三つ子と名乗る?名乗らない?

自己紹介の時に三つ子であることを話すのかについては、話す時と話さない時があります。例えば、新しい環境に身を置いた時や覚えてもらいたい時は、インパクトを出すために、あえて話すようにしています。
でも、三つ子のインパクトが先行しすぎて、肝心の名前は覚えられていないことが多いので、使いどころを考えています。

初対面であれば、会話のネタにも繋がりますし、皆さん絶対に驚きますから、存在感は大きく残すことができます。

そして反応も決まって「双子は見たことがあるけれど、三つ子はない。」と言われることが多く、セットで、顔や名前が似ているのかも質問として聞かれますね。

私自身は、これまでに一度、三つ子に出会ったことがあるのですが、そのシチュエーションがなんと、就職活動中のグループワークでの自己紹介の場面でした。しかも、私の前の方が三つ子であったので、三つ子の自己紹介が続き、会場がざわつきました(笑)。

ー気になる率ナンバーワンの顔と性格について

まず私たちの場合は、顔は二卵性なので、全然似てないです。
三つ子の中でも分かれていて、長女は身長も顔も全く似ていないけれど、次女と私は少し似てるという感じです。長女とは身長差が10センチもあります。
同じものを食べて育っても、体系も身長も異なるのはとても不思議ですね。

本当に似ていないので、隣を歩いていても、友達に間違われることがほとんどです。

性格については、全然違っています。
小学生までは、学校も一緒でしたので、一緒に過ごす時間が長く、ハマるものは互いに影響し合っていました。

しかし、中学校への進学を期に別々の進路を進んだので、そこから少し変わっていき、社会人になってからは、別々に住むようにもなったので、それぞれの好みが分かれて、きっぱり嗜好が違うようになりました。

一緒に生活しないと姿が見えないので、「自分が好きなものはこれ!」みたいな感じがお互い強くなりました。

服装の話で言うと、久しぶりに会った時は「え?そんな洋服着るんだっけ?」みたいな感じになり、お互いに新たな発見があり、面白いです。

三つ子ならではの悩みや葛藤


ー周りからの比較や評価について

保育園から小学校までは3人とも同じところに通っていました。

そのため、学校や塾では横並びに評価されることも多く、三つ子間でも、お互いに意識しながら過ごしていたと思います。

しかし、両親は比べることをせず、私達一人一人をきちんと分けて見守ってくれていました。

ーテストの点数の差など、目に見えて比較できてしまうことに対してのストレス

自宅以外では比較されることも多く、それが結構ストレスになっていました。例えば、全く同じテストを受けて点数に差がつくと「お姉ちゃんは解けてたけど。」みたいなことを、先生にサラッと言われたこともありました。

私は私だし、そんなこと言われましても。」
と、思いながら過ごしていましたね。

周りから言われ続けると、やはりお互いに少しずつ意識するようになり、三つ子の仲も次第にピリつき始めました。中学受験の時がたぶん、一番仲が悪かったですね。

受験をすることになり、テストや模試を通じて点数で評価できてしまう環境が、余計に目に見えて比べるようになってしまったのだと思います。
3人のそれぞれの成績が如実に分かってしまうので、周りからの比較の声もより大きくなりました。言葉がなかったとしても、相手の表情や空気感で比較されていると感じてしまうこともあるので、本当に辛くて、家の中の空気も自然とピリついたものになっていました。

中学はそれぞれ別々の進路を進んだのですが、3人ともこれまでの人生で比較されていた経験があったので、自然と別の進路を希望していた感じでした。「もういいっしょ!」みたいな。


二人の存在


ー隣の芝は青く見える幼少期

同じ環境にいたことで、なんでも比較の対象になりやすく、ライバル的な存在でした。二人より良い成績でいたい、進学したいという思いも強かったと思います。

でも、性格や体系、顔と、3つ子でもそれぞれ違うため、羨ましいと思うところは互いにありました。友達とも違い、同じ遺伝子であることが、どうしても強く比較してしまうことに繋がっていたのではないでしょうか。

他人からも比較されていたけれど、自分自身の中でも、比較の感情はありましたね。

小・中学生くらいまでは、2人のことが羨ましすぎて、私がトゲトゲした言葉を言ってしまうことも多かったです。
でも、そこは「いいや」って、時間が経ったり次の日になったりしたらケロッと忘れている感じだったので、引きづったりすることはなく、互いに吐き出してすっきりするという感じでした。

結構みんな寝たら忘れるタイプなので、さっぱりしてるのかもしれないです。
すっきりしたら、「お腹すいたし、おやつ食べる?」みたいな感じでした(笑)。
それで、不仲が続くことはなかったです。


ー大学生以降の二人は、私にとって一番の親友で戦友

離れて暮らすようになってからは、会うことも少なくなったので、熱烈に「羨ましい」とか「いいな」という思いは薄くなりました。

それこそ就職活動の時とかも、お互いどういうところを見ているのかや、どんな情報を得ているのかなどをシェアしながら話したので、友達とか同級生に近い感覚で付き合ってましたね。

就職後は、それぞれ仕事も全然違うので、忙しさや生活スタイルなど、同じでないことが増えたので、比較しようにも、比較にならないみたいな感じです。

違うフィールドで、それぞれ仕事をバリバリ頑張っているので、単純に「すごいな」と思う感情が大きいです。

また、家族の絆があるので、友達に対しては言葉を選んでしまうような内容や相談も、話せることが本当に心強く、支えになっています。

お互いの良いところも認め合える関係性を作れたことは、違った環境で離れて過ごすようになったからこそ感じた部分ですね。


ー2人は私にとって運命共同体

家族というところは、やはりお互いとても強いなと思うところです。
生まれた時から、というか生まれる前から、本当に同じところにずっといるっていうのは運命共同体みたいな認識が強いです。

誰かが体調悪くなった時や、嫌な話ですけど病気になって臓器移植が必要となることも、もしかしたらあると思うんです。
もしそうなった時は、臓器を渡す覚悟もあるし、家族だからこそ命の部分はお互い助け合っていこうねみたいな感じの話とか、半分冗談ですけど、することはありますね。


「1人の良さ」と「3人の良さ」の違い


一人旅で訪れて京都での一枚

ー1人行動が好きなのは、実はこんな理由

比較されていた幼少期の反動で、自由を求めて1人になりたくてというわけではなくて、単純に二人よりも好奇心が高かったからです。

二人は「新しい世界を見たい知りたい」という気持ちの好奇心がそこまで強くはないので、海外旅行とかあまり興味がないというか。
それで自然と、「二人が行かないんだったら一人で行こうかな」ぐらいの感じでした。
もちろん、気が合えば一緒に行く場合もありますよ!


ー三つ子ってここが素晴らしい

3人の良さは、悩んだりとか、自分が壁にぶつかっているなと思う時に、損得感情や、うわべなしで、自分だけでは知らなかった情報や考え方の観点から意見をもらえるところです。
そういう時は、自分の視野が広くなるので、三つ子の良さだなと思います。

また、姉妹や兄弟とは違って同い年であることも、フラットな関係性を築けている部分で大きいものだと思います。



【かなやんさん SNS】
Twitter:(6) かなやん@1日1冊読書に挑戦中 (@kanayan_tabi) / Twitter
Instagram:https://instagram.com/kiki_everydayhappy?igshid=YmMyMTA2M2Y=
note:kana(かなやん)|note

取材・執筆:URI
写真提供:かなやん


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