所詮は自意識過剰。
ここ最近、イベントの案内をストーリーで投稿することが多くなっていて、そのことを私自身はとても気になっている。
もはや自意識の塊でしかないのだけど、
「こんな風に思われているかもしれない」の
“かもしれない”旋風が止まらない、止まらない。笑
実は、一時全くSNSでの発信をしていなかったのだけど、
「元気になった途端、すごい発信するじゃん」と思われているかもしれないな、とか。
きっと、一歩引いて見てる友達もいるのかもしれないなあ。とか。
何より違和感を覚えるのは、
ストーリーだけだと、
どうしてもポジティブな一面だけが切り取られてしまうこと。
もちろん、何も率先してネガティブなことを言いたい訳ではない。
けど、かといって常に楽しそうで、イキイキしているか。といえば、
そんな訳でもないから、
どうしても陽もあれば、陰もあることを伝えたくなる。
ただ、そんなことをする自分を
ああ、結局は、人に嫌われたくないからする行為をしているなと、客観的に分析して捉えては苦笑する。
現に、今こんな風に久しぶりにnoteを書こうと思ったのも、私が何を考えて、どう思って行動しているかなんて、誰にも想像がつかないわけで。
それはそうだよね、
なんてったって私は言っていないんだもの。笑
私は伝えてないのに、勝手に想像されて
勝手に解釈されることに不満を持つって
それも理不尽な話だなと思うわけで。
だから、書きたくなった。
知ってもらいたくなった。
私は、こんな風に感じているよ。って。
いや、正直そこまで興味ないです。って人が恐らく大半だとは思う。笑
だから、やっぱり自己満で終わってしまうかもしれない。
けど、伝えずに心でモヤモヤしてるよりは
カタチはどうあれ伝えようとすることをするだけでもなんか違うんじゃないのかな。
少なくとも、私は自分の今感じていることを
乱文だとしても文字にして書くことでスッキリしている自分がいる。
誰も読まないかもしれないし、
誰かが読むかもしれない。
相変わらず“かもしれない”に振り回されてる私だけど、どちらにしても、それで何か考えが変わるわけでもないし、
結局のところ、わたしはわたしのまんま。