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いつのまにか閉じてた感情の扉。

昔から感情型で喜怒哀楽が激しいほうである自覚はあった。

イライラすることも多いし、
大人になったからって泣き虫が治るわけでもなく感極まって泣くことなんてザラにあった。

当時、そんな私を身近で見てた人は、
本当に大変だったと思う。

なんてたって、私自身も自分の起伏の激しさにかなり消耗していたから。笑

だから、とにかく穏やかでありたいと強く思ってた。

他人の行動に振り回されたくなかったし、
それに対して何かを思うことも嫌だった。

気にしない。

気にしない。

気にしない。

そんなことを、ずっと考えてたせいなのか、

いつのまにか自分の感情がよく分からない事態に陥った。

それは怒りだけじゃなくて
喜びとか、楽しいとかって気持ちも含めて。

笑ってるけど、楽しいかって言われると
ちょっとよく分かんないって感じだったし

不安なのか怖いのか、
緊張してるのか嫌だと思ってるのか

どんな気持ちなのかもイマイチ分からないから

どう思うか聞かれても、
どーとでもない。って割りと思ってたし

無関心

虚無

そんな言葉がなんとなくしっくりくる感じだったと思う。

きっと、感情の波に溺れるのが怖くて
無意識のうちに、自分の中にある感情の扉が
閉まっちゃってたのかもしれない。

最終的には、あんなに血気盛んだったのに、
怒りとは無縁の穏やかな人だったかも。と
若干錯覚すらしていた。笑

まあ、そんな状態が続いてた中で、
どうやって思い出せたかというと、最近、怒りについてシェアする機会があったのだ。

それぞれが、どんなときに怒りを感じるのか
皆から話を聞く中で

自分のエピソードも織り交ぜつつ話を回すために、必然的に過去の記憶を思い出していたのだが

あれ?

私って結構イライラする場面多くないか?

あれ?

そういえば、私って怒りっぽくなかった?

あれ?

あれあれあれ?

みたいな感じで

まさに、ゲームで出てきそうなニュアンスの
自分の怒りを取り戻した!状態になったのだ。

そして、みんなの話を聞く中で

怒ること=よくない。とか

怒ること=カッコ悪い。とか

思ってたけれど

場合によっては怒ったほうが良いシーンもある。

そして、無意識のうちに溜め込んでしまって
後で大爆発するくらいなら

適度に怒りを認識して外に発信していったほうが双方にとって良いのではないか。

という話をきいていて、

イライラしたことまでを無かったことにする
必要性はないのかもと、ようやく少しだけ思えたのだ。

イライラするものはイライラする。笑

そう感じた事を頭ごなしに否定せず、
かといって相手を傷つけるのでもなく。

まだ怒りとどう向き合っていくのがベターか
見つかってはないけれど

抑えすぎなくても良いと思えたことで
少しだけ気持ちが楽になった。










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