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本棚から1冊抜き取る。

「チベットの先生」中沢新一

ケツン・サンポの伝記。これが人名だとパッとわかる人はほとんどいないと思う。僕もこの本で知っただけです。この人はチベット仏教のラマさんです。チベット仏教というと、ダライ・ラマが有名ですが、この本の主人公であるケツン・サンポはダライ・ラマのようなエリート僧ではありません。チベットに生まれた普通の人間が、精進と修行をひたすらに積み上げて徳の深いラマとなったのです。読んでいくと、彼だけでなくチベット人の信仰心の篤さに驚く。純粋さ、ともいえるだろうか。ひたすらに修行に勤しむラマと、それを尊いものと信じるチベット人の姿。争いとは無縁な、宗教の理想の姿を垣間見れます。

でも正直な話、この本はあまり楽しい気持ちにはなりません。
別れ話が多いのです。

チベット侵攻と仏教弾圧。これによって亡命を決めるラマ。結論から言うと、幸運にも亡命は成功します。しかし家族やせっかく出会えた師とも別れることになります。もう悲しい悲しい。理不尽にもほどがある。幼年からの生い立ちを読んできているので、感情が入ります。エピローグが一番悲しい。これが創作であったら、あまりにも救いがないだろうと批判も殺到するでしょう。でも事実は小説より奇なり。あの時代、あの地域にあっては同じような、もしくはそれ以上の悲哀に満ちた人生を送った人がいた。

チベットについて、中国の民族浄化について、何も知らないで生活することは簡単です。でももし、誰かがこの投稿を見たことをきっかけとして、関連ワードでも検索してくれたら嬉しい。楽しい話ではないけれど。

流行りの中国批判の記事を書きたいわけではない。でもこの本を見たらどうしたって批判したくなる。そんな本です。

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