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サボテンサラダ

妊活をしている。が、なかなか赤ちゃんはやってこない。
生理前にはソワソワし、毎朝測る基礎体温がガクンと下がると、今日にでも生理来るんだな…としょんぼりし、本当に生理が来てガッカリする。
そんな毎月の繰り返し。

妊活をしている以上、生理が来るまでは妊娠している可能性があるので、お酒を控えている。
もともとそんなにアルコールは強くない。カクテル系は好き。ビールは飲めるけど、美味しさが分からない。家で晩酌はしない。
だから、飲まなくたって別に良いのだけれど、飲み会の付き合いはあるわけで。

仕事での飲み会となると、部署にいるのは全部で17人。このうち、妊活中と伝えているのは上司2人と仲の良い女性の同僚2人。
排卵期間にタイミングを取り、次の生理が来るまでの間に飲み会があると、妊娠している可能性があるため、私はソフトドリンクを飲まざるを得ない。
新人の子に「お酒飲まないんですか?」と聞かれたから、「そうなの。弱くて…」と返した。嘘はついていない。

妊活を始めてから、何回の飲み会でソフトドリンクだけを飲んだか。
秋の歓送迎会、忘年会、仲の良い同僚との飲み会、春の歓送迎会、大きなプロジェクトの打ち上げ、関係部署との親睦会…
思いつくだけでも6つだ。片手を超えている。

お酒は飲まなくても平気だと思っていたのだけれど、せっかく居酒屋にいるのにお酒を飲めない、という状況がなんだかもどかしくなってきた。
せっかく素敵な花束をもらったのに、ちょうど良い花瓶がない。
せっかくカレーの具材があるのに、カレールーがない。
せっかくディズニーシーにいるのに、新エリアに入れない。
例えるならば、そんなもどかしさ。

タイミングを取ってから、今回もいつも通りの体調。まだ生理は来ていないけれど、なんだか来そうな予感。
そう思った時、ふと「次に生理が来たら、居酒屋でお酒が飲みたい」と思った。
オットに伝えたら、「いっちょやるか!!」と前向きに、楽しそうに話に乗ってくれた。ちなみにオットはビールが好きだが、私と同じくお酒は弱い。

そして、今回も残念ながら生理がやってきた。
よーし、気持ちを切り替えて、体調が落ち着いたら飲むぞー!


まずは居酒屋選びである。
何軒か候補を出し、オットと相談した。オットは「しばらく飲んでないんだから、好きなとこを選びな〜」と私に一任した。
大衆系で安いと噂の居酒屋か、アメリカ人の知り合いにお勧めされたことがあるメキシコ料理専門の居酒屋か。
居酒屋でお酒を飲みたいと思った時、頭の中にイメージしていたのは、赤提灯が似合うような、黄色い短冊状の紙一枚に縦書きでメニューが一品ずつ壁に貼りめぐらされているような場所だった。だから、大衆系の居酒屋にしようと思ったのだけれど、なぜだかメキシコにとても心を惹かれて、最後まで迷ってしまった。
江國香織さんの『金平糖の降るところ』を最近読んだからであろうか。あの小説は、メキシコではなくて、ブエノスアイレス(アルゼンチン)が舞台だったのだけれど。

私は願望を叶える場所をメキシコ料理を出す居酒屋に決めた。


薄暗い店内と対照的に陽気な音楽が流れている。思わずマラカスを両手に取って、シャカシャカと素早く鳴らしながら、軽快なステップを踏みたくなったが、ぐっと堪えた。
壁には、メキシコと聞くと誰もが想像する、ツバが広くて縁が付いている大きな麦わら帽子がかけられていた。(ソンブレロ・デ・チャロと言うらしい)
天井には、オレンジ、青、赤色の幾何学模様のモービルが吊り下げられていた。
まるで、リメンバーミーの世界である。うっかり死者の国へ行くかもと思ってしまった。

案内された机を見ると、これまた真っ赤なテーブルクロスが目に入る。
カトラリー入れは、目の覚めるような鮮やかな青に、黒とオレンジのラインが入った布で覆われていた。
ランチョンマットは、落ち着いたダークグレーであるものの、アイボリーや水色のラインがところどころに入っており、まだ何も料理が運ばれていないのに、すでに楽しい。

小柄なおばあさんが、メニューとお水を持ってきてくれた。
ランチョンマットの上に、メキシコの地図をイラストで紹介しているような紙を敷かれた。サボテンや民族衣装を着ている子供達の絵が描かれていて、とてもかわいい。

メニューは、メキシコ料理に馴染みがない人でも分かるように、料理名の下に解説が書かれてあった。ところどころに写真もあってありがたい。
私がすでに知っていた料理は、タコスとナチョスとチリコンカンくらいで、呪文のような名前がメニューに連なっている。

気になったメニューのうちの一つに、サボテンサラダがあった。

サボテンってあのサボテン?
棘が生えている、あの緑色の?
えっ、食べられるの…?

同じことをオットと思っていたようで、2人で顔を合わせ、はてなマークが浮かんだ。

せっかくの息抜きだし、食べてみようじゃないかということで、サボテンサラダとタコス数種類をまずは注文する。オットはコロナビールを、私はモヒートを選んだ。



「「乾杯!」」

久しぶりのお酒である。
酔って気持ち悪くならないように、まずは二口、こくこくと飲んだ。
「あ〜〜!美味しい!」

この陽気な雰囲気と居酒屋でお酒を飲むと言う行為。
多分、アルコールが入っていてもいなくても、美味しい。
この瞬間こそ、私が求めていたものであった。

久しぶりのアルコールが体内に入って、1分ほど経ったころであろうか。
体の中心がじわじわと温かくなり、血が巡っている感じがする。
アルコールってこんなだったっけ。音楽も相まってとにかく楽しい。


お待ちかねのサボテンサラダがやってきた。
いざ、実食!

上にはカッテージチーズが乗っています

美味しい。めちゃくちゃ美味しい。

青臭さやえぐみは全くなく、茎わかめのような食感と歯触り。
なんとなく、オクラのようなぬめりも感じる。

メキシコが発祥であるシーザードレッシングがたっぷりかかっていて、非常に食べやすく、私たち夫婦はトリコになった。
かつてサラダでこんなに感動したことがあったであろうか。

「美味しいね。すごく美味しい。気に入った。リピ確定。また来ようね!」
矢継ぎ早に、今思っていることをオットに伝えた。
モヒートとサラダしか食べてないのに、あまりにも心地よくて、美味しくて、満たされて、幸せで。きっとこの後の料理も美味しいに決まっている。そう確信していた。


予想通り、次に運ばれてきたタコスも、このあとたくさん頼んだ呪文料理も、どれも美味しかった。
聞けば、ご夫婦で20年以上メキシコに住んでいたそうで、現地でシェフをやっていたらしい。
日本人好みに味付けを変えている料理もあるそうだが、私たちはすっかりメキシコ料理にハマってしまった。メキシコ料理に、ではなく、このお店に、と言った方が正しいか。


今後、妊活が長引いたり、幸いにも妊娠することができて、ソフトドリンクを頼まざるを得なくなっても、私は喜んであの店に行くだろう。

そして、あの感動したサボテンサラダを必ず注文すると決めているのである。

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