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人生最高の褒め言葉をくれた人 忘れられない先生その2


その年の春は、希望が胸にあっただろうか。


中学卒業からの高校入学。
人生に数回しか回って来ない長めの春休みに、
震度5の地震を経験したことはまた別の話。


わたしは、第一志望にあっけなく惨敗し、自己責任ではあるけれど、いわゆる”すべり止め”だった学校への入学を控えてました。


まだ”JK”という言葉もなかった時代。


否応なしに環境が変わるざわざわ感は間違いなくあったけど、生まれる前から変わってないらしい古くさい制服に、これから始まる女子高生生活にはあまり期待が持てないと思った気がします。


でもこの学校への進学は、間違いなく正解でした。


忘れられない先生2人目は、高校時代の担任の先生です。
いつの?って話なんですが、なんとクラス編成の兼ね合いで、まさかの3年間同じ担任の先生でした。


そんなわたしと同じ処遇の仲間が、約10名弱いましたが、わたしの高校生活を語る上で、切っても切り離せない人です。


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見た目の爽やかさはゼロ。(辛辣)


わたしたちが入学した新年度4月、その前年度3月、暦の上では先月まで、系列の男子校に勤めていそう。


入学のときの挨拶


「年頃の女の子の扱い方がわかりません」


と言い切られる始末。
それをわたしたちに言われても…!


だけどそれが実際の本音やろうなぁ。
頼りなさにがっかりするよりも、しょっぱなから歯に衣着せぬ物言いに、むしろこっちも猫被ってかわいこぶる必要ないじゃんと思いました。


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おかげで担任の中のわたしは


【(担任がイメージする)女の子とは少々かけ離れたサバサバした後腐れない生徒】


だったのではないかと思います。


わたしの理屈を「たしかにな」と、よく理解してくれていました。


そして時効として自分で言っちゃうけど、当時からベラベラと言い広めたりする人間ではなかったので、口の固さも買われてました。


これらの評価を察する出来事がいくつかあるのですが、他の元クラスメイトたちが関わっていたりして、あまりおおっぴらに書ける感じではないので(笑)割愛します。
他人事は勝手に時効にできません!笑


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2年生のとき、人生2度目らしい、入院をしました。
期間は1ヶ月ほどで、そのままプラス夏休みに突入でした。


健康だけがとりえ、を、17歳くらいで手放すことになろうとは…!


退院しても、月に1度は通院が必要で、体もだるかったんですが


担任にこのような病気ですと報告すると、なんと担任のめっちゃ近しい親戚さんも同じ病気にかかっていたとのことで


「それめちゃくちゃ大変じゃないか!」と
わたしのヤバさをわたしと同じくらい理解してもらえました。


それから、まとも街道を真っ直ぐ来てたわたしの不安を見抜いたかのように言ってくれました。


「出席日数は気にしなくて大丈夫。
きついときは無理しないで休みなさい」


母と一緒にめっちゃ安堵しました。


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無事に3年生に上がり、受験モード突入しました。病気の方も通院でおさまってました。
そして既にネタバレ済みですが、担任も持ち上がりました〜笑


我がクラスの大半は推薦で進学先を志望しており、さらにその数割は何度か受験が必要組になるのですが


わたしはしっかり何度か受験必要組。笑


担任はこれから推薦文地獄やぁあと本人たちの前で頭を抱えていました。


そしてこの担任おもしろいんですが、自分が書いた推薦文を本人に公開していたんです。


わたしも1枚書いてもらっていたので、例外なく読みました。
さてどんな美辞麗句が並んでいるだろうと思っていたら


“飄々としていますが、協調性はあります。”


なんだこのひねりも凝りもない言葉は。
と自分の1番手前で笑いながら


1番奥では、18歳のわたしは、
後にも先にも、これ以上の言葉はないと思いました。


女子にまみれて正直大変だった。


1人の時間は大事。一匹狼に憧れてるわけではありませんが、1人で考えること、逆に頭を空っぽにする時間は必要です。


多数集まることで生まれるエネルギーも知ってるつもりでした。
やっぱり1人じゃどうにもならないことはあります。


だけど多数は個性の集まりです。
折衷案を編み出す大変さを覚えると、1人に逃げたくなります。


1人のときのわたし、多数の中のわたし。
このバランスが難しかった。うまくいかなかった。


でも担任の一言で救われました。
わたしの考え方は間違ってないし、やり方も間違ってなかったと言われたような気持ちになりました。


そしてそれは同時に、見ていてくれる人はいると感じた瞬間でした。


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卒業式の日


「さやこさんは成績悪いので卒業できません。
留年です」


って言ってきたから、あえて


「そっかぁぁ〜じゃあ担任の先生も変わらんでしょうな。また1年よろしくお願いしャッす」


って言ったら


「嫌だぁー卒業しろっ!おめでと!さよなら!」


って言われた。有終の美。笑


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あの言葉は、担任のことだから、わたしが感動するほど考えられた言葉ではなかったかもしれません。


わたしの母校は消滅しました。
ひとつ下の学年から制服が変わり、
卒業してすぐ完全に校舎が建て替わったからです。


結構家から遠かったので、地元にいると学校の存在はおろか、後輩を見かける機会もほぼないです。


わたしの母校は、もはやわたしの中にしか存在しません。


10代なんて、いわゆる黒歴史だけど、そこを通らずして今があるかと言われたら…はっきり言ってないと思います。良くも悪くも。


振り返れば、わたしという人間の引き出しがいくつか形成された時代でした。


それができたのは、あの先生が担任としてわたしのフィールドにいたからだと思います。


女の子の中で上手にできなかったわたしを、それもよし、いや、それはよしとしてくれた。


おかげで今も、自分の信じたいことを信じて、
立っていられます。


あの言葉を超える褒め言葉は未だにないです。
担任という人から発せられたものだから素直に受け取れたし、嬉しいんだとも思います。

先生、ありがとうございました!


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2021.5.3

noteさんからトロフィー頂きました!

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みなさんのおかげです!
ありがとうございました。





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