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離婚についての考察


※この文章はくるりとは全く関係ありません。ただ、聴きながら書いているだけです。


仮面夫婦の仮面が割れて、数年間まともに話をしていない妻と離婚する事になりました。

仮面が割れてみると、そういえばこんな顔してたなとか、こんな声してたよなとか。

今まで覆われていたものが露わになりこんな緊迫した話をしているのにも関わらず仲良くしていた昔を思い出して少しだけ、どきどきしました。

目を見て話しをしたのは何年ぶりでしょうか。

まだまだ寒さがキツイ青森の3月。

コロナがここまで大事になるとはまだ考えていなかった時に単身赴任が決まり、もともと夫婦間の会話は無いため、大した相談もせず東京の本社に務めるということだけ話し、住む場所さえ伝えず、私は東京に行きました。不動産屋からもらった間取り図だけ渡して。

日頃から出張が多く、家にいるのは週末のみ。

週末もまだ小さい子どもたちが遊んでくれとせがむので、妻との気まずさを誤魔化すように子どもと遊び、夜になると子どもと眠り、また月曜日が始まれば、契約を求めて1週間車を走らせ、週末になると家へ戻りました。

こんな生活が2年続きました。

その前は東京に住んでいて、結婚してから2年半一緒に暮らしていました。

俗に言うできちゃった結婚でした。

息子が生まれるとき、明け方家で破水をし、急いで病院へ妻と行き、生まれるまでずっと病室で妻と話し、いよいよ産まれるという段階になると妻と一緒に処置室へ向かいます。

無痛分娩だと聞いていたのでそれなら大丈夫かと思っていましたが、無痛でもこんなに苦しいのかと妻をみながら狼狽したのを覚えています。

お腹を押したら楽になるのかとお腹あたりを押してみると看護師に怒鳴られました。それならばとひたすらに妻を励まし、無事の出産を願います。

妻のお腹から下は幕で覆われており、状況はよくわかリませんでした。

時間の感覚はなくなり、今が何時なのか、何分たったのかもわかりません。

ただひたすらに苦しそうな妻と妻のお腹から下を被っている幕を交互に見ているしかできません。

どれくらい経ったのでしょうか。突然、幕が開き、小さな、本当に小さな、まだ人間かも怪しいような、血と羊水にまみれたなにかぬめぬめした美しい生物が私の眼前に出てきたのです。

「産まれました」

看護師がその気高く美しい生き物を私の手に渡し、私はなぜか涙しました。

その生き物は産声を上げました。

私の涙は止まりませんでした。

こんなに小さな弱々しい生き物がこの世界に生まれ落ちました。人間が何万年も繰り返してきた生の鎖、永遠に繰り返されてきた尊い鎖を私は確かに見たように思い、人の生物としての美しさに私は打ち震え、そしてその鎖をつないだ妻の美しさが私の心を力強く握ってきました。

処置室から出てもまだ涙が止まらず、私はしばらくシートに座り、ひとしきり泣きました。

そこからの生活は妻にとっては辛かったのでは無いかと思います。

出産に立ち会った感動はもちろん覚えています

しかし、なぜか自分ごととして捉えることができず、私は仕事に明け暮れ、毎晩深夜に帰宅し、その美しい生き物の成長を見ることは土日のみとなりました。

私は妻の苦労を顧みず、ただひたすらに働き遊びました。

夜泣きしないよね、なんて事を妻に言うと、

「してる、あなたが起きないだけ。」

私は「仕事をしている」ということを盾に土日だけ父親としての責務を果たせばいいと思い、平日は自由に動き、「彼女」を作りました。そして毎週金曜日は「彼女」を抱きました。

妻は疲れていきました。そしてだんだん会話は少なくなっていくのです。


つづく

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