見出し画像

とめととよまとだて 登米懐古館【隈研吾2】【伊達家のトビラ3】 宮城県登米市

日本各地にある難読なんどくの地名。例えば由布院ゆふいんは大分県にある有名な温泉地ですが、その隣町はアフリカンサファリやワインで知られる安心院です。
「あんしんいん」ではなく「あじむ」。地元の人なら多分読めますが、書けるかどうかは・・・?
宮城に登米という地名があります。かつての登米郡登米町から現在は登米市登米。読みは「とめぐんとよままち」から「とめしとよま」! 以前に仕事でご一緒した方で一関出身(登米市の隣)の人がいて、「とよまに行った事がありますよ」と言ったら、「アレッ、とめじゃない?」と。自分の記憶違いかと思いましたが、確認してみると結論としてはどちらも正しい(笑)
実は伊達家の歴史を追いかけていくと、登米はスルーできない町。伊達家は「仙台だけではない」と小さい声だけど言いたい。




登米市は宮城県北端に位置する人口72,000人の町。2005年に9町合併で成立。中心部(市役所)は旧はさま町佐沼に。一帯には広大な田畑といくつかの大きな沼、そして東北最大の北上川。長沼はなぜか2020年東京オリンピックのボート・カヌー会場候補にも。
旧伊達藩領は現在の宮城県一帯から岩手県一関市、奥州市そして北上市あたりにまで及びます。江戸時代は一国一城令といって、大藩といえども1つの国に居城は1つだけと幕府はシバリをかけました。伊達藩領では2つのお城でもOKとお墨付きをもらい、仙台城と白石城がありましたが、要所には中世以来の歴史を持つお城のような要害ようがいがいくつかありました。
登米市を構成する旧迫町と旧登米町には、それぞれ佐沼要害登米要害が。

伊達と亘理がいろいろ出てきて少しややこしくなります。

市役所のある佐沼要害は、豊臣秀吉とよとみひでよし(1537-1598)が天下統一プロセスで行った仕置に対して不満分子が暴発したトコロです。葛西大崎一揆といって佐沼城(佐沼要害)に立て籠もった浪人たちを、秀吉の命で伊達政宗だて まさむね(1567-1636)が鎮圧しています。裏では領地拡大のため政宗自身が一揆を扇動していたとされ、いわゆるマッチポンプ(政宗の野望は果てしない)。
結果として葛西大崎一帯は政宗に与えられますが、領地南側(現在の山形県や福島県側)が没収され、政宗麾下の家臣たちは旧領から切り離されます。

紆余曲折あって佐沼に入ったのが伊達家の家臣亘理わたり。亘理氏は千葉常胤つねたねの子から始まる鎌倉以来の家で、宮城県亘理町あたりを本拠にしていた人たち。ややこしいのは伊達晴宗はるむね(政宗の祖父:1519-1578)の弟が亘理元宗もとむね(1530-1594)となって継いでいます。さらに出自のややこしい政宗の庶子宗根むねもと(1600-1669)が亘理家の名跡を継ぎ、宙ぶらりんとなった元宗の孫定宗さだむね(1600-1669)は伊達姓となって涌谷伊達家(一門のNo.4:涌谷は登米の20km南)となります。ちなみに亘理氏の故郷は政宗の右(左?)腕伊達成実しげざね(1568-1646)の所領となり亘理伊達家(一門のNo.2)と呼ばれます。成実の父実元さねもと(1527-1587)も晴宗の弟。みんな伊達の血筋。

2020年は無料でした

佐沼(旧追町)には佐沼城跡や登米市歴史博物館(旧追町歴史博物館)、旧亘理邸と歴史オタクには見所多数ですが、またの機会に。
 

そして旧登米町へ。ようやく「とよま」です。

教育資料館(旧高等尋常小学校:1888年)

登米には江戸や明治期の古い建物が残されていて、観光的には「みやぎの明治村」とアピール。

登米 パンフ
水沢県庁記念館(1872年)


白石氏から登米伊達氏へ

初代となる白石宗直しろいし むねなお(1577-1629)は梁川宗清やながわ むねきよ(1532-1605)の子で、伊達家重臣の白石家を継承します。登米21,000石(大名レベル)を領有し、登米伊達氏(一門のNo.5)を名乗ります。
父の宗清は実は伊達晴宗や亘理元宗の弟、つまり伊達政宗(1567-1636)の大叔父です。政宗を基準にすると、こういう関係(祖父の兄弟や子の血筋)の人物が多いので伊達家はメンドくさい。なんだかんだでエビバデ伊達! 登米伊達家には以後も伊達藩主家から継嗣が入っています。
宗直は「也」の字を前立てにしたカッコイイ兜が目印です(下の古いチラシ参考)。政宗の下弦の月の白石流の解釈でしょうか。ちなみに伊達家中で下弦の月はお館様やかたさま専用(家臣は半月の前立て)。
宗直は武勇だけの人ではなく、北上川の治水によって湿地帯の多かった登米地域を開発し貢献しています。


武家屋敷通り


登米懐古館

懐古館は登米の実業家・渡辺政人さんによって旧登米要害(寺池城跡)に建物と所蔵品(登米伊達家の道具類や渡辺さんの美術コレクション)が寄贈され1961年に開館。県内では仙台市博物館に次ぐ歴史を持つそうです。そして2019年に旧館から南へすぐの現在地に隈研吾設計の新館として移転。
 

最初目にした時は藤森建築!と思ってしまいました(笑) でも藤森さんはこんなシャープな線は描かないよなーとも。

宮城県登米市登米町寺池桜小路72-6


何故、隈さんの設計?と思ったら、過去に旧懐古館そばにある能舞台(1996年)の設計も担当されています。

設計事務所のHPに懐古館の解説がありますが、チョット何言ってんのか分かんない(笑) 武家屋敷独特のヒューマンスケールの再生って?

館内は撮影不可。

サインにデザインされるのは建物のファサード。


パンフ 2020年版

パンフには屋根に使用されたこの地域特産のスレート。スレートは岩を薄く板状に加工したもので、東京駅の復原(東日本大震災の津波で一部失われる)にも再使用されています。
形状に凝ったパンフはあまり好みではありません。単純に見にくい(笑)


登米懐古館 図録
編集発行:登米懐古館 2020年 28ページ

図録には登米伊達家に伝来した品々が掲載されています。伊達一門らしいのは宗家歴代藩主の書画が含まれているコト。特に政宗直筆の和歌に狩野探幽かのう たんゆう(1602-1674)が絵(政宗の後ろ姿)を加え、大徳寺の僧江月宗玩こうげつ そうがん(1574-1643)があと書きしたコラボ作品が目を引きます。
武の力だけでなく和歌に書や画、舞や蹴鞠とソフトパワーにも通じ、京都の公家衆や文化人らとパイプを持っていたのは歴史の長い伊達家ならでは。


誰かが栗を置き忘れてるのかと思ったら、


どなたかのしつらえのようでした。最近は流行りなのか花手水をよく目にしますが、これでもかと言わんばかりに花を手水に詰めたもモノが多い。これくらいがちょうどイイ気がします。花で埋めるのは簡単ですが、時には余白も大切。もしかしてこれも伊達の美意識?


一方、踏み石の余白をうめるのはスレート材。瓦のこういう使い方がありますが、このデザインもカッコイイ。


建築家 隈研吾について

今や大御所建築家の1人、隈研吾くま けんご(1954- )。デザインもさることながら、大きいモノから小さいモノまで作品数が多すぎる人。過剰な化粧板の乱用はなんだかモヤモヤします。


隈建築:栃木県内ミュージアム3選

那須歴史探訪館(栃木県那須町:2000年)

江戸時代の土蔵と陣屋門(複製)に展示室で構成されているミュージアム。展示室はとてもシンプルですっきりした建物。見方によってはチープ。展示内容はかなりマニアックで面白い。


石の美術館(栃木県那須町:2000年)

地元石材店のショールーム?のようなギャラリー。歴史探訪館のすぐそばにあります。放置されていた古い農協の米蔵を再生し、素材には地元の芦野石が。石のスピーカーもありましたが、動かすのが大変そう。

照明も石材


那珂川町馬頭広重美術館(栃木県那珂川町:2000年)

よーく見ると構造材は鉄骨で木材はルーバーというか化粧板のような。この木材は不燃・防腐処理が施されているそうですが、メンテナンスの問題なのか劣化が激しいように見えます。
M2の呪いが解けたのか、マツダのCMに使われたコトをミュージアムもアピール。

どのようにたくさんの作品を設計されているのか?
大きな疑問でしたが、まず300名を超える所員数(HPで確認できます)に驚かされます。いくつものチームを立ち上げ、同時進行でプロジェクトを走らせているとどこかの新聞で読みました。隈さんは建築家よりも経営者の能力が突き抜けた人なのでは。独立する人も出てくるので一定の新陳代謝が進み、独立後にコラボするケースも。コンセプトやデザインに隈さん思想なるものが所員に共通認識としてあるのでしょうか。「負ける建築」は読んでいませんが、言葉のイメージからは周囲の環境や文化になじむ建築のコトのように考えます。


懐古館に戻ります。

懐古館の隣には武家屋敷があります。

田舎のお宅というカンジですが、春蘭亭という喫茶店。駐車場のある観光物産センターはお土産に食事と賑わっていますが、コチラは落ち着いて静か。
屋敷の主は鈴木さん(1989年まで)。白石宗直の家臣で紀州の鈴木家から分かれた家と説明が。葛西大崎一揆と同時期に起こった和賀稗貫一揆で、先祖の鈴木重信は討死しています。出身地とその名前から雑賀孫市さいが まごいちの空気が漂いますが、その関係は分からず。


城下町を2つ抱える登米市。要害は意外と近くに配置されていて、伊達家の足跡がアチコチに。そして葛西大崎地方に広がるのは、江戸の町の食料を支えてきた広大な田んぼ。仙台や松島ほどの知名度ある観光地ではないかもしれませんが、見る価値のある場所でしょう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?