正欲 - 朝井リョウ
「幸せの形は人それぞれ。
多様性の時代。
自分に正直に生きよう。
そう言えるのは、本当の自分を明かしたところで、
排除されない人たちだけだ。」
多様性。
幅広く性質の異なる群が存在すること。
対義語は、画一性。
すべてのものが一様で、各々の個性や特徴が見られないさま。ひとつの枠に当てはまるさま。
一様とは、世間によくあり、ありふれていること。
"多様性"が指すもの。それは、"一様ではない"もの。
つまり、"世間にありふれていない、ひとつの枠に当てはまらない" もの。
多様性という言葉を使うほど、性質の異なる群の存在を認めているようで、"世間にありふれていない、ひとつの枠に当てはまらないもの" の存在を浮き彫りにしている。
人間のエゴは、そのような "少数派" の人間はまともではない、"多数派" の自分こそ、まとも側の岸にいるのだと、裁断し、様々な差別を生んできた。
「多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。」
本作は、現象的に現代社会で叫ばれる "多様性" をテーマに、多様性を尊重しようとする者、法を正義とし多様性を認めまいとする者、想像しうる多様性の外側にいる者など、様々な視点で繰り広げられる。
おそらく自分も、"多様性を尊重しようとする者" だった。差別主義者ではないし、LGBTQに激しい嫌悪を感じることもない。何度か耳にする多様性というものにも、多少の理解はあると思っていた。
その考えこそ稚拙で恥じるべきなのだと、読んでいるうちに気付かされた。
「自分が想像できる多様性だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」
"多様性" という言葉は、「自分は "多数派" に属していると見なす人間」 が、「LGBTQや被差別人種など、"少数派" だと決めつけた人間」 を受け入れた気になれる、ガラスの靴のような言葉だと思った。
さらにその少数派の人間はあくまでも想像の範疇で、思考の外側、領域外の世界にも人間がいることに気付いてない。
多数派と少数派、受け入れる側と、受け入れられる側。一体誰にその線引きをする権利があるのだろうか。
"少数派" の中で最もフォーカスを当てられていたのが、"性的嗜好" 。
"性欲"とは、異性と性行為をしたいという欲望や異性に興奮することを指すから、"性" という漢字が当てはめられる。
作中では、水・風船・窒息などに性的興奮を覚える人達が描かれている。異性に興奮する人間からしたら、それは 「"性"欲」 とは捉え難いだろう。
いずれも、人間が生まれ持った本能であり、何も間違いはない。
だから筆者はどちらの欲望も正しいものなのだと定義するため、「"正"欲」 と当てはめたのだと思う。
この小説は、確実に読み手の価値観を変える。
重い弾丸が浅はかな考えを貫通し社会に突き刺さる。義務教育で学ぶべきは国語の教科書だろうか。
どの大人も教えてくれなかった道徳というものを、初めて説いてくれた気がする。
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