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ドバイとはどんな所?歴史から読み解くドバイの成長

こんにちは。
株式会社ニュークラウドの代表「木村」です。

最近商談や会食で様々な社長さんに出会い、頻繁に「ドバイ」というキーワードを聞くようになりました。私もニュースなどで富裕層がドバイに集まることは知っていたのですが、ここまで身近に話がでるととても気になりました。

そこで本日は、まずドバイとはどんな所なのか、なぜここまで成長しているのか、歴史から読み解いてみたいと思います。

まずは「海」を制した1970年代

みなさん、ドバイと聞くと中東にあるので石油国家のイメージがあるかと思います。しかし、実はドバイは石油がほとんど取れない国なのです。では、なにで栄えたのかそれは「貿易」になります。

当時ドバイは、天然真珠が主要産業の時期であったが、日本が養殖真珠に成功し、また第二次世界大戦で世界景気が悪化したことにより真珠産業は衰退。そして1966年に油田が発見され、3年後の1969年から石油生産を開始。しかし、これも元々石油埋蔵量が少なく、石油産業を大きくすることができませんでした。

そこで注力したのが「中継貿易」です。元々インドがイギリスの植民地時代、イギリスからインドに向かう船は、ドバイを中継港として経由していました。そのため、基盤はありドバイは、本腰を入れていくことにしました。1960〜1970年代に「クリーク」と呼ばれる船がはいる入り江を大型船も入港できるように大きく拡大、これにより中継貿易がさらに盛んになっていきました。(ちなみにクリークの拡大に使われたお金は、石油の収入からとなります。)

次に「空」を制した1990年代

中継貿易により「海」を制したドバイは、次は「空」を制することになります。

1985年に「エミレーツ航空」が設立されました。当時、UAEの代表は、首都が置かれる「アブダビ」であり、主な国際線発着は、「アブダビ国際空港」が完全に独占する状態でした。

UAE(United Arab Emirates, アラブ首長国連邦)とは、「アブダビ、ドバイ、シャルジャ、ラス・アル・ハイム、フジャイラ、アジュマン、ウンム・アル・カイワイン」の7つの首長国により構成される連邦国家のことです。

しかし、それに不満を感じていたドバイは、「自分達の航空会社と空港を作ろう!」と決意。そこでまずは「エミレーツ航空」を設立。当時は、パキスタン国際航空からリースされた2機の小さな機体から運航を開始。最初はやはり初めてのことで運用がとても大変でしたが、1990年代半ばから業績も伸び、現在は最大手の国際航空会社へと成長。

後にドバイ国際空港もオープン。2015年には、エミレーツ航空は世界最大の旅客機「エアバスA380」を68機も保有。これは世界最多数の数であり、またドバイ国際空港の旅客数も世界1位を記録しました。

外国企業誘致を制した2000年代

中継貿易により「海」を制し、さらエミレーツ航空により「空」を制したドバイは、勢いが止まりませんでした。

1980年代には、貿易の要である港の整備をさらに進め、1985年には大規模な人工港「ジュベル・アリ港」を開港。「ジュベル・アリ港」は、ドバイ中心地から車で30〜40分の場所にあり、大きなコンテナ船が常に出入り、2014年にはコンテナ取扱量ランキングでは世界第9位にもなりました。

そしてジュベル・アリ港周辺には、「フリーゾーン」と呼ばれる自由貿易地域も開業。この「ジュベル・アリのフリーゾーン」は、外国企業を誘致するため、100%外資系企業の参入を認め、さらに50年間の税金免除を確約するなど様々な優待がつけられた地域です。

海と空を制し、後は外国企業の参入を待つだけのドバイでしたが、フリーゾーン開業当時は、中東に対するイメージもあり中々反響がありませんでした。ところが、1990〜1991年に湾岸戦争が勃発。CNNが報道拠点をドバイに置いたことで状況は一変。

CNNの報道で常に「ドバイからお送りしました」と発信され、一気に知名度が上がり、また「中東(特にイラク周り)では戦争しているのにドバイという所は安全なんだ」という認識が広がり、湾岸戦争の終結後にはフリーゾーンへの外国企業の進出が急加速。2000年代まで増加数は順調に伸びていきました。

そして、もう一つのキッカケが2001年に起きた同時多発テロです。それまで中東の石油産業国は、余剰石油資金をアメリカやイギリスで運用していまいた。しかし、同時多発テロ以降、中東に対して国際的な疑惑の目が向けられ厳しい態度がとられるようになりました。そのため、中東としてもアメリカやイギリスでの運用を引き上げて、別の場所での資産運用を考えていたときにドバイのフリーゾーンが選ばれました。

また当時ドバイは、派手に成長をしており、「3つの人工島(パーム・アイランド)」と「世界地図の形をした島(ザ・ワールド)」を作るなど開発をどんどん進めていました。(現時点で利用可能な人工島は1つしかないのですが...)他にもショッピングセンターや世界一高いビルを建てるなど、投資家が集まる環境づくりが進み、2000年代半ばからは原油価格もあがり、中東の豊富な石油資金はどんどんドバイに流れていきました。

最後に

中継貿易により「海」を制し、そしてエミレーツ航空により「空」を制し、フリーゾーンにより「外国企業誘致」を制して、まさに各国・企業・富裕層にとっては魅力的な国になったのがドバイです。そしてそれは、「中東 = 石油」のイメージとは全く異なる方面からなったこともキッカケかと。もしドバイが他の中東と同じように石油埋蔵量が多く、石油以外の資源に頼る必要がなかった場合、このような急成長はなかったのかもしれません。

歴史からドバイのことが知れ、またなぜ富裕層やお金がドバイに流れるのかの大きな理由も理解することができ、とても私自身にとっても有益な記事に仕上がりました。

この記事がお役に立てると幸いです。

株式会社ニュークラウド 代表「木村」

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