Saucyを聞きたくなる今日この晩
今夜はSaucy Dogが聴きたい
みなさま、こんばんは。
今晩、私はとてつもなくSaucyを聴きたい!と思っています。
というかもう既に聞いています。
『魔法にかけられて』から始まって『あぁ、もう。』『結』『いつか』ときまして、現在『紫苑』を聴いております。
つまりはそういう気分というか、何か感じることがあったのでしょうね。
不安なことだったり、寂しさからくるのか、とてつもなくこういった曲調や歌詞の曲を聴きたくなります。
大学卒業以前の自分なら、こういう曲を聴いて泣いていたのですが、気づいたら、泣くというかただ虚無に陥っていくだけになりました。
これも「成長」でしょうか。
まぁでも、楽しいことばかりではないですから、私に与えられた試練だと思って乗り越えられたらとは思っている次第です。
一時の感情から来る詩的センス
私は幼少期から何かあるとこういったポエムのようなものを書く癖がありました。
こういうのを世間一般では黒歴史というわけで、就活とかで見られたりして審査落とされたりするのかな…。
自分のポエムにセンスがあるとはさらさら思ってはいないのですが、ほら、私はこういう風に文章に起こすのが好きですから。
こういう自分も立派に自分自身なわけで、こんな自分が案外好きです。
自分にしては珍しく
本日の投稿は自分にしてはつらつら文字を重ねる気はないです。
日々生活するうえで、なんとなく感じたことをここで投稿するわけですが、こういった私情も投稿しますよという意思表示です。
自分にしては珍しく、とは言いましたが、結局「〇〇という出来事があったから記事を書く」というスタンスに本日ももちろん変化はないです。
幸せは主観だから
周囲から見て幸せなのと、私がはっきり自信を持って言える幸せとでは全く違うんですよね。
あぁ、もちろん当然ではあるのですが。
これを書いている現在、私には大切な人が居るわけです。
でも、
幸せかというと、違うかもしれない。
一抹の不安もないかというと、違うかもしれない。
この状況で満足しているのかというと、と違うかもしれない。
「幸せ」かの判断は非常に難しいです。
また、四六時中いかなるときも「幸せ」かというと全人類NOと答えるのかもしれない。
でも、求めずにはいられない。
人間は、私は、卑しい生き物ですね。
好きでいてほしい、私が幸せになるために、ということなのかもしれません。
少し言い方悪いですけど…。
こういうところがダメなのかな。
分からないです。
好きですと、大好きですと、言うのがはばかれるようになると終わりなのかもしれません。
私が言ったとして、それが相手にとって苦痛だと、分からないとなった時に、その言葉がただの気持ち悪い暴言になってしまうことを恐れて頻繁に言わなくなってしまいました。
誰のせいというわけではなく、ただただ、本当に彼女が好きなのですが、ただただ側に居てくれるだけで力をもらえるのですが、ただただ彼女の側に居たいのですが、自己満足ではダメなわけで。
難しいですね。
ええ、本当に。
あぁ、これが例え黒歴史になったとしても、大好きです。
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