【ショートショート】開かれた蓋
近所の小川のほとりに新しい商業施設ができたのは、今朝のことだった。
ニュースによると、開店と同時に来客が殺到し、お祭りのような盛況を見せているらしい。
いや、お祭りのようなと言ったが、その商業施設から2分ほど歩いたところにある小川の岸辺には、ここぞとばかりに所狭しに屋台が並んでいて、さながら本当のお祭り状態だった。
流石、全国展開のチェーン店である。こんな田舎にまで、たくさんの人を運んできてくれるらしい。ニュースのインタビューでは、並んでいる客はほとんどが県外から来ているようだった。
それだけじゃない。祭りの屋台だって、みんな違う地区から来た人たちが運営している。だから、この賑わいはキツい言い方をすれば、「よそ者の・よそ者による・よそ者のためのお祭り」ということになる。
そこに僕ら地元の民の姿は一切ない。といっても、僕はテレビ越しに眺めているだけだけれど、それでも分かる。第一、行くはずがない。僕らは、みんな反対したのだから。
この計画が始まったのは、もう十数年も前のことだ。その頃、必死に開発を拒否していた村長は5年前に亡くなった。
それから、ボトルネックを失った開発計画はまるで小川のようにさらさらと流れ出した。
僕らは村をあげて署名を集めたり、工事現場の周辺で抗議活動をしたりしたけれど、堤防になるどころか土嚢にもなれず、計画はトントン拍子で進んでいった。
そして、僕らの抵抗虚しく、今朝ついに計画は完遂したのだった。
よく「文明が浸透する」なんていうけれど、そんなの文明側の言葉だ。文明化される方にしてみれば、「文明が侵略する」と言った方が何倍も正しく感じられる。
村は侵略されたのだ。
でも、そのことに目を向ける人は一人もいない。開発側の企業はもちろん、そこに行く客も、それを利用して屋台を張ったり中継をしたりして漁夫の利を得ようとする連中も、誰一人僕らに気がつかない。
臭いものには蓋をしろ。蓋をした人はいいだろう。そいつの責任だ。どうなろうとしったこっちゃない。ただ、問題はそれ以外の人である。
彼らはなぜ蓋をしてあるのかを知らない。だから、何も知らないまま平気で近くを通るし、そこに居座る。そして、何も知らないから、蓋を開けてしまう。
もう時間の問題だろう。
雨が強くなってきた。それでも、テレビの向こうではみんな馬鹿みたいに祭りを楽しんでいる。
実は、商業施設と小川は平地に並んでいる訳ではない。小川は谷底にあり、商業施設は小川から5mくらい離れた崖上にある。
中継画面が施設内に移った。大方、雨が強くなってきて、外のロケは退散しようとしているのだろう。
だが、もう遅い。
中は足の踏み場も見えないくらい人混みでごった返しているようである。
一人の女性がインタビューに答える。
「近くにこんな便利な場所があるといいですね!」
嘘だった。この人は村人じゃない。そして、この村は一番近い町からゆうに10kmは離れている。そこにはもうとっくに、同じ系列の商業施設が建てられていた。仕込みだろう。
もう限界だ。
ゆっくりと、画面に映る女性の顔が横に傾いていく。悲鳴が、いたるところから聞こえて来る。
だから、僕らは反対したのだ。
地鳴りが聞こえる。テレビの音だけじゃない。ここまで、直接鳴り響いている。
画面はすぐにスタジオに移った。アナウンサーが放心したようにぽっかり口を開け、阿保面を晒している。
すぐに中継が移り変わる。反対の崖上からだった。さっき退散したスタッフの一部が、カメラを回している。
そこには、崖が崩れ、小川を塞ぐように横倒しになった商業施設があった。所々は見るも無残なほどに大破している。
蓋が、外れたのだ。
あそこは、神聖な地である。この村のできるはるか昔から、そう伝えられてきた。
「そんなもの、現代で通用しませんよ。」
開発部の担当は、黒服に身を包みながら平気でそう言いのけた。僕らがお金をむしり取ろうとしているがために、迷信をでっちあげようとしたのだと、彼は最後の最後まで思っていたらしかった。
彼は今、どう思っているだろうか。これも偶然だと言うのだろうか。それとも、後悔しているのだろうか。いや、もしかするとそう思うことすらもうできなくなっているかもしれない。
現場は阿鼻叫喚の嵐だった。中では、無数の人が覆い被さり身動きが取れない。そうしている間にも、水が流れ込んでくる。辛うじて出てこられても、大雨で水位を増した川に足を取られまともに動けない。
祟り。画面の向こうの誰に言っても信じないだろうけれど、神がお怒りになったのだ。神聖なこの地を土足で平気で踏み荒らしていく無法者に、神罰を下したのだ。
僕にははっきりとそれが分かった。カメラはしっかりとその証拠を捉えていたのだから。
あんなに澄んでいた小川は、真っ赤に染まっていた。
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