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目が光る⑷

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「慣用句症候群?」

初めて聞く病名だった。彼が不思議そうな顔をしていると、医者はさっきとは人が変わったように落ち着いて話し始めた。

「ええ。慣用句症候群です。岡田さん、最近"目を光らせた"経験は?」

"目を光らせる"?どういう意味だっただろうか。確か、欠陥や不正がないかを注意深く監視するといったような意味だった気がする。それが何の関係があるというのだろう。

「ええ、何度かあると思います。仕事をしているなら厳しく見ないといけない時もありますから。」

そう言うと、医者は軽く頷いてみせた。

「そうですか。やはり、慣用句症候群で間違いはなさそうですね。岡田さん、驚かずに聞いてください。あなたは今目を光らせ過ぎて、本当に"目が光る"ようになっているんです。」

耳を疑った。

「目を光らせ過ぎて、本当に"目が光る"」?

何を言ってるんだ?そんなことあるわけないじゃないか。そんな非現実的なこと......。

疑問に思った彼はある思惑にたどり着いた。

そうか、分かったぞ。もしやこいつは医者じゃないな。どうせここも病院じゃないんだろう。そういうフリをしてだまくらかそうったってそうはいかない。

考えてもみれば最初からおかしかったじゃないか。看護婦は愛想がないし、医者はテンパり過ぎだ。みんなして俺を騙そうとしているんだろう。騙されてたまるか。このペテン師め。

こんな罵詈雑言が喉まででかかったが、彼は必死にそれを押しとどめ、何とか取り繕いながら言った。

「非現実的です。そんなことあるわけない。」

すると、医者は看護婦を呼び手鏡を持ってこさせ、それを彼の方に向けた。

「眩しい!」

手で顔を隠す彼に向かって、医者はあくまで冷静に語りかけた。

「岡田さん、信じがたいのは分かります。私たち医者もメカニズムは分かっていないんです。ただ、実態としてこの病気は実在します。今、ご自身でお分かりになったでしょう?あなたの目が光っているという事実はどれだけ目を背けようと変わりません。」

それでも現実を受け入れようとしない彼に医者は淡々と説明を続けた。

「まあ、ただ、いきなりこの訳もわからない病気を受け入れろと言われても難しいでしょう。ですから、慣用句症候群とはどういう病気なのかを先にご説明いたします。」

そう言うと、医者は引き出しからを開けて資料を取り出した。引き出しの中は机の上の様子とは比べ物にならないくらい整頓されていた。

医者は資料を彼に見せながら説明した。

「慣用句症候群というのはですね、人の心の性質が過度になった時、慣用句が現実となって症状として身体に現れるというものです。分かりづらいと思いますから、岡田さんの例にならってお話ししましょう。岡田さんは注意深い人ですね?連れ添いの部下の方からもお聞きしましたが、相当神経質らしい。」

彼は驚いた。小林め。そんな風に思っていたとは。

同時に怒りが湧いてくる。何を話したかは知らんが、俺は普通のことをやっているだけだ。どうしてそんな神経質なんて咎められなければいけない。社会人として、注意深くなるのは当然だ。

彼はあとで小林に説教でもしようと思い、反論した。

「いや、でもですね、別に私がやっているのは普通のことです。資料にはしっかり目を通して細部まで仕上げなければならない。社会人として当然でしょう?仕事にミスがあってはいけませんから。それに部下の面倒はしっかり見ないと。それが上の責任ですから。」

半分キレながら反論する彼を見て、医者は一瞬ニヤリとして、すぐに真顔に戻り、彼に告げた。

「先ほど、私はわざと要領を得ない話をしました。症状をこの目で確かめるためです。あなたは要領を得ない私のアラを探していましたね?それこそ目を光らせて。結果、症状はしっかりと確認できました。文字通りあなたの目は燦々と光っていましたよ。信じられないとは思いますが、これが何よりの証拠です。」

彼は愕然とした。最初からすべて医者の手のひらの上だったのだ。まざまざと証拠を突きつけられた彼はこの事実を受け入れるしかなかった。しかし、頭では理解していても心はどうしても受け入れることができなかった。

「つまりですね、これはあなたの注意深さや疑り深さが、"目を光らせる"という慣用句として現実に顕現した状態だということです。だから、あなたが何かを注意深く見たり、監視しようとすると、その目は光ります。」

「しかし、先生。そんなことあるはずないじゃありませんか。何か他に原因があるのでしょう。先生は注意深く見たり監視したりする時に目が光るとおっしゃいますが、そうとも限らないんです。例えば一番最初に光ったのは寝ている時ですし、部下の仕事をチェックしている時目は光っていませんでした。」

「この病気は心の性質がトータルで過度になった時発症します。ただ、ある基準というものが仮にあるとすれば、それを超えた瞬間に発症するわけでもないというのが分かっています。知られている症例では、慣用句に当てはまらない心理状態の時でも発症するようです。ですから、それは慣用句症候群を疑わない理由にはなりません。」

「分かりました。では、それはそうだとしても、発症してから注意深く観察した時に目が光っていないことはどう説明されますか?」

医者は目を見開いた後、鼻で笑って答えた。

「今日の昼ですよね?そりゃ自分では分からないでしょう。明るいところでスマホの明かりをつけてみたことありますか?あれと一緒で、部屋が明るければ、ついてるかついてないかなんて分かりませんよ。」

「そんなことは分かっています。あまり見くびられても困る。部下も気づかなかったんですよ。これでも光ってたとおっしゃいますか。」

「なるほど、確かに光源は見えますからね。昼間でも目が光っていたら気がつくでしょう。ただ、それは部下の方と目が合っていればの話ですが。」

彼は何も言えなかった。医者の言う通り、小林のことも佐藤のことも、彼はロクに見ていなかったのだった。遂に言うことの尽きた彼は絞り出すかのように、ささやかな反論をした。

「いやしかし、本当にそんな病気があるんですか?にわかに信じがたいのですが。聞いたこともありませんし。」

「聞いたことがないのは当然です。この病気は今のところ日本でしか見られない風土病で、患者数もかなり少ないのですから。」

もう彼は何も言えなかった。放心状態の彼に、医者は最後にこう告げた。

「それほど珍しい病気ですから、当然ウチでは扱いきれません。専門医を紹介します。彼女の診察をお受けになってください。それでは本日の診察はこれで終わりです。意識もはっきりしているようなので、お帰りにくださって結構です。」

そう言うと、医者は紹介状をパパッと書き上げ、彼に渡した。それは紹介状というには粗末なもので、「天宮狗子」という名前と下手な絵地図が書いてあるだけだった。

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