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【ショートショート】迫りくる睡魔

何だか、異様に眠い。

ぽかぽかな陽気の差す窓際。給食で満たされたお腹。5時間目のプール。去年からPTAが無理言ってやっと導入されたエアコンで冷えている教室。極め付けは、定年間近の学年主任が放つ、お経のような英語。

これで眠くならない方がおかしい。少し熱を帯びた身体が冷える時に、人間は眠くなるんだと理科の先生も言ってたじゃないか。僕は悪くない。これはれっきとした生理現象だ。

逆に、なんでみんなそんな元気なんだろう。前の席の浅井くんはこんなつまらない授業なのに、真面目にノートをとっているし、横の遠藤さんは手も動かさずうんうんとうなずきながら先生の話を聞いている。

ドア側の端の新道は、普段はおちゃらけたやつなのに、こういう時は寝ない。まあ、授業は聞いてないだろうけど。

そんな姿を見ると、神様は不公平だなと思う。僕は自他共に認めるロングスリーパーだ。朝は起きない。絶対に。近所中に鳴り響くくらい大きなアラームが鳴っても、僕が最後に起きる自信がある。

これは多分遺伝だ。お母さんも、お父さんも大抵いっつも寝ている。休みの日なんて、11時くらいにみんな寝ぼけ眼で起きてきて、「どっか行きたいねー」なんて話をして、その2時間後には昼ごはんにやられて、みんな昼寝。起きたら、もう夕飯時で、どこも行けない。こんなことはザラだ。

流石に僕らも、これには罪悪感を抱いている。生命に限りがあることなんて当然知ってるし、だから、当然時間が大切だとも思っている。

勘違いしないでほしいのは、何も僕らは寝たいから寝ている訳ではないし、寝てしまうことをちゃんと悪いなと思っているのだ。

だから、ショートスリーパーの人が羨ましい。だって、僕みたいに遅刻したり、居眠りしたりして怒られる心配はないし、僕ら家族みたいに時間も無駄にしない。きっと、僕なんかよりずっと時間を有意義に使えて、だから、人生もずっと充実しているだろう。

こうして全然眠くなさそうにしているみんなを見ると、思ってしまう。僕と何が違うんだろう。浅井くんは真面目だから、毎日早く寝てるのかな。遠藤さんは好奇心が旺盛で、毎日何でも楽しいんだろうな。新道はサッカーやってるし、体力がある?いや、あいつは何も考えてないだけか。

こんなことを考えながらも、眠気はどんどん強くなっていく。考えごとをしているのに、どうして眠いんだろう。

「はい、じゃあ、これ分かる人、レイズ・ユア・ハンズ」

先生が何か質問をしている。どんな質問だったっけ。眠すぎて、聞き逃してしまった。まあ、誰もあげないだろ。あげるとしたら、浅井くんくらいかな。そんなことを思っていたから、僕は驚いた。

全員手をあげたのだ。

浅井くんだけじゃない。遠藤さんだけじゃない。引っ込み思案の田中もギャルの佐藤さんもマッチョの松下くんも人見知りの山田さんも、何よりあの新道も。

どういうことだ。混乱していると、さらによくわからないことが起きた。

「はい!」「はいはい!」「ハイ!」「ハーイ!」

みんなめちゃくちゃ返事をしている。なんでそんな積極的なんだ。

「えーと、じゃあ、神田。レッツ・アンサー」

「え、僕?」

嘘だろ。だって、僕だけ手をあげてないのに。だからか?まずい、何も分からない。パニックになっていると、みんなが一斉にこっちを向いた。

「どうしたんだ神田ー」「神田くん?早く答えなよ」「神田おせーよ」「神田どうしたんだよ」「神田くん!」「おい、神田!!」「神田!」

なんだよ、みんなどうしたっていうんだよ。そんなに大勢で、おっきな声で名前呼んで。やめてよ。やめてくれよ。分かんないだよ。うるさい。うるさい。うるさい。

「「「「「神田!!!!!」」」」」

「うるさーい!!」

その瞬間、強烈な眠気が僕を襲った。目の前が真っ暗になる。意識が遠のいていく。

すると、遠くの方から何か声が聞こえる気がする。僕の名前を呼ぶ声。いやだ、もう耐えられない。僕には、分からないんだ。戻りたくない。このままずっと寝ていたい。

その時、何やらパシャパシャと水の音がした。音はどんどん大きくなっていく。パシャパシャだったのが、バシャバシャに、ジャバジャバになっていく。

何だろう。気になって僕は薄目を開けた。すると、そこには水泳帽にゴーグルをして、泳いでくる新道がいた。しかも、バタフライで。

新道が近づいてくる。眠気が強くなる。新道が近づく。眠気が強くなる。睡魔が襲ってくる。

睡魔?もしかして。

僕はもう一度、新道を見た。うん、間違いない。あいつ、睡魔じゃない。スイマーだ!スイマーが襲ってきてる!

バカだ。バカすぎる。いくらなんでも、睡魔とスイマーを間違えるなんて。

僕はあまりにおかしくて、思わず吹き出してしまった。笑って、笑い転げて、眠気がどんどんさめていく。でも、新道はめげずに近づいてくる。ついに、新道が目の前に着いて、僕は捕まってしまった。もう我慢できなかった。

「アッハハ!!ダメだよ!お前、何だよ、スイマーって!」

僕は涙目で新道を見た。いつもみたいに、馬鹿っぽく笑ってんのかな。でも、目の前の新道は笑っていなかった。それどころか、険しい顔だった。

どうしたんだろう。僕が疑問に思った時、新道が大きな声で言った。

「神田!戻ってこい!」

その瞬間、真っ暗だった世界が一気に鮮やかになり、僕は真っ青な晴天の下に放り出された。

「先生!神田の息が戻りました!!」

「なにっ、本当か!おいっ、神田っ!大丈夫か、しゃべれるか!」

何が何だか分からない。辺りを見渡してみると、そこはプールサイドだった。みんなが、心配そうに僕を見下ろしている。

僕は意味がわからず、とっさに最初に浮かんだ言葉を言ってしまった。

「新道、眠気はスイマーじゃなくて、睡魔だぞ」

大騒ぎになってしまった。後で聞くと、脳がやられたのかと思われたらしい。僕は急いで救急車で運ばれ、少し入院した。

お見舞いに来てくれた時、新道が何があったのかを教えてくれた。あいつが言うには、僕は5時間目のプールの時間に溺れたらしい。一番最初に発見したのが新道で、泳いで助けてくれたのだ(ちなみに、泳ぎ方はバタフライだった)。

クラスのみんなは大騒ぎで、でも、ありがたいことにみんなで僕の名前を呼んでくれていたらしい。あの時、英語の授業で聞こえたみんなの声は、ちゃんと届いていたのだった。

つまり、あの授業は幻覚だったということだ。死ぬ間際の。そう考えると、背筋が凍る思いがする。もし、あの時、眠気に負けて寝ていたら?今頃、僕はあの暗闇に閉じ込められて、現実に帰ってこれなかったかもしれない。

そう思うと、新道に感謝だ。こいつがあの時、バタフライで助けに来てくれたから、生きていられるんだから。

でも、このことは絶対にあいつには言わない。褒めたら調子に乗るだろうし、あと、多分普通に理解できない。

あ、そうそう、後で聞いたら本当に睡魔のことスイマーだと思ってたらしい。

今日も新道はお見舞いに来てくれた。開口一番、自慢げに小テストを見せてきたが、3点だった。しかも、10点満点じゃなく、50点満点だった。

それでも、心の底から楽しそうにしている新道を見て、僕は何だか今まで悩んでいたのとか全部馬鹿らしくなってきて、あんなに強かった眠気もどこかへ吹き飛んでいってしまう気がした。

いつのまにか3点の小テストで折られた飛行機は、そんなくだらない憂鬱を乗せて、澄んだ青空の下をすーっと飛んでいった。

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