柏原竜星 / 福友スズキ販売 店長

因島出身。福友スズキ販売 店長。赤字1100万円の車屋を3年で黒字7000万円に。車屋…

柏原竜星 / 福友スズキ販売 店長

因島出身。福友スズキ販売 店長。赤字1100万円の車屋を3年で黒字7000万円に。車屋の経営に関するノウハウや自身の経験を書いていきます。

最近の記事

黒字7000万円を生み出した考え方 【つぶれかけたおじいちゃんの車屋を、孫が復活させた話 Vol.6】

「お前が言ってたことは全部正しかった」──。 おじいちゃんは会社が復活していく様子を目の当たりにして、僕にこう言ってくれました。おじいちゃんの車屋も立て直せて、非常に嬉しい気持ちでいっぱいです。 でも、振り返って考えてみると、やってきたことはたくさんありました。 僕が導入した仕組みは「車検のコバック」の力で安い車検を提供できることによって成り立っています。そうでないと、お客さんは「値段を上げてきたな」「追加整備の話ばっかりするじゃん」となってしまうので。 でも「車検の

    • 従業員が経営者になる給与体制を導入 【つぶれかけたおじいちゃんの車屋を、孫が復活させた話 Vol.5】

      「黒字化させるぞ」という声かけだけでは、人は動かないとわかっていました。もっとやる気になる仕掛けが必要だと。 そして給与体制を変えることに。 給与は従業員のモチベーションにかなり大きく影響を与えるため、前々から給与体制の変更は考えていました。準備期間は約1年。自分の頭の中で多くのことをシミュレーションし、やる気になるような給与体制をつくりだしました。 ちなみに、給与体制を考えるにあたりたくさんのビジネス書を読んだのですが、明確な答えを得られるものはありませんでした……。

      • 戦略的に停滞した2年間 【つぶれかけたおじいちゃんの車屋を、孫が復活させた話 Vol.4】

        2018年9月22日──。 この日が「車検のコバック因島北インター店」のオープン日。自分の中で決めた目標は達成しましたが……おじいちゃんはなかなか前向きな反応をしてくれませんでした。 加盟する旨を伝えると「ええけど、車検が本当に1000台も増えたらどうするん? いまの状況で人出は足りるんか?」と。 でも、僕は従業員には余力があると思っていました。というのも、それまでの車検はお客さんが車を持って来た日から3日後に整備を完了させていたのですが、1日の受け入れが1台でも10台

        • 愛知県豊田市で社長に直談判 【つぶれかけたおじいちゃんの車屋を、孫が復活させた話 Vol.3】

          「これぐらいで折れちゃいけんよな」──。 「車検のコバック」の加盟を断られた僕は本気でそう思いました。おじいちゃんの車屋を復活させたいから、簡単に諦めるわけにはいきません。 「車検のコバック」が提供しているサービスは3種類。「スーパークイック車検」「スーパーテクノ車検」「スーパーセーフティー車検」というもの。最低限のチェックをする車検からディーラー並みに丁寧に点検する車検まで、選択肢があるのは素晴らしいこと。経営をする上で彼らの力をぜひ借りたいと思ったので、加盟を承諾して

        黒字7000万円を生み出した考え方 【つぶれかけたおじいちゃんの車屋を、孫が復活させた話 Vol.6】

        マガジン

        • つぶれかけたおじいちゃんの車屋を、孫が復活させた話
          6本

        記事

          話し合わないことを決めた理由 【つぶれかけたおじいちゃんの車屋を、孫が復活させた話 Vol.2】

          赤字1100万円の事実を突きつけられて、僕は自分なりに理由を探ることにしました。 正確なデータは取っていないけど、客層はおじいちゃんの年代ばかり。70〜80歳ばかりです。免許返納をする人も多いし、車の乗り換え頻度も落ちます。お客さんが減っていることは少し考えただけもわかりました。 「これはなんとかしなければいけない」──。そう強く思ってから、いくつかの方法を提案しました。小さなことから大きなことまで、やった方がいいと思った施策を共有したのです。 でも、おじいちゃんは「お

          話し合わないことを決めた理由 【つぶれかけたおじいちゃんの車屋を、孫が復活させた話 Vol.2】

          いきなり赤字1100万円と知らされるまで 【つぶれかけたおじいちゃんの車屋を、孫が復活させた話 Vol.1】

          最初の仕事は洗車。 自己紹介で書いた通り、いまは経営を任されてるけど、22歳のときは車検終わりの車を洗うのが僕の仕事でした。 給料は月額で20万円くらい。ボーナスも15万円前後だったと思います。年収でいうと300万円も稼いでいませんでした。 お客さんに気持ちよく車に乗ってもらうために洗車をしたり、足りないものをホームセンターに買いに行ったり……いわゆる雑用はなんでもやりました。 当時は経営のことなんて全く分からなかったけど、僕のために会社が月に20万円を払っているのな

          いきなり赤字1100万円と知らされるまで 【つぶれかけたおじいちゃんの車屋を、孫が復活させた話 Vol.1】

          僕の自己紹介

          広島県尾道市因島──。 広島県と愛媛県の島々を結ぶ「しまなみ海道」が通っている島。戦国時代に瀬戸内海で活躍した「村上海賊(村上水軍)」の拠点があった島。マンガ『ヒカルの碁』にも出てくる天才囲碁棋士「本因坊秀策」が生まれた島。ほどよい苦味とサクッとした食感のある柑橘「八朔」が発祥地の島。「ポルノグラフィティ」の2人がバンド活動を始めた島。 僕はこんな島で生まれ育ちました。 因島は相撲が盛んだったりもするから、小学生の頃には地元の大会によく出ていました。家族が移動手段として