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いきなり赤字1100万円と知らされるまで 【つぶれかけたおじいちゃんの車屋を、孫が復活させた話 Vol.1】

最初の仕事は洗車。

自己紹介で書いた通り、いまは経営を任されてるけど、22歳のときは車検終わりの車を洗うのが僕の仕事でした。

給料は月額で20万円くらい。ボーナスも15万円前後だったと思います。年収でいうと300万円も稼いでいませんでした。

お客さんに気持ちよく車に乗ってもらうために洗車をしたり、足りないものをホームセンターに買いに行ったり……いわゆる雑用はなんでもやりました。

当時は経営のことなんて全く分からなかったけど、僕のために会社が月に20万円を払っているのなら、もっと自分のペースを上げなければいけないと感じました。だから、ガンガン洗車をしまくって。

でも、先輩整備士からは「ここをもっと綺麗にして」「まだ足りないよ」と言われるばかり(笑)。「すみません!」と言いながら洗車をしていたけど、頭のどこかでは「これで利益になるのかな?」と考えていました。

そんな日を送っているなかで、突然、先輩整備士が脳卒中で倒れてしまって……。彼が入院しなければいけない状況だったので、そこから整備の仕事もやるようになりました。基礎的な整備から勉強して、いまでは難しいこともできたりします。自分のできることが増えて、喜びを覚えつつも、やっぱり会社の経営は気になっていました。なんせおじいちゃんの会社ですから。

最初の年は黒字300万円。その次は赤字500万円でした。

「赤字500万円って、普通なの?」「いや、かなり久しぶりだね」

そんな会話はしたけど、経営をしていたらうまくいかないときもあるだろうから、そこまで問題だとは思っていませんでした。でも、その次の年に経営状況を聞いてみると……赤字1100万円。いきなりすぎて、とても驚きました。

「なんで?」と聞いても、おじいちゃんは「わからん」「なんでじゃろ?」と言うばかり。明確な答えは返ってきませんでした。でも、曖昧にしていてはいけないと思って、僕はおじいちゃんに口出しするようになりました。

これが経営に関わり始めたきっかけです。25歳の時の話です。

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