見出し画像

2023.07.24 月曜日


「頑張れ~!」

僕は、この言葉が、好きじゃない。物心がついた頃から苦手意識があったと記憶している。しかし、どうやらモヤモヤを抱くのは少数派のようで、「頑張れ~!」と言われても、別に気にならない人も居れば、むしろ、意気に感じて「ようし、もうひと頑張りだ!」と、モチベーションの向上に繋げる方が多数派だということを知ってしまい、子どもながらに物思いに耽ったものだ。

思い返せば、そもそものキッカケ、だったかは定かではないが、鮮明に記憶している、という意味では、運動会でよくあるアナウンス「紅組、頑張ってください!」だとか「白組、よく頑張りました!」などといったエールの送り方は、これまた、子どもながらに閉口したものだ。

「既に、一生懸命、頑張っている人に対して、これ以上、何を頑張れと言うのだろう」
「『頑張りました』の基準は『勝ち負け』で決められるものなんだろうか」

こういう感覚は、子どもの頃も、大人と呼ばれる年齢になった今も、全く変わっていないらしい。これは「初志貫徹/ブレない信念」と、肯定的に捉えるべきなのか。「まるで成長していない…。」と、スラムダンクの安西先生風に捉えるべきなのか。僕自身、皆目見当がつかない。ただ、一つ言えることは、「頑張る」という言葉だけでなく、全ての事象において「昔からずうっと言い続けている/思い続けている」というものは、人並み以上に多い気が、なんとなくしている。これは確かだ。要するに「良くも悪くもこだわりが強い」といったところだろうか。

「頑張る」という言葉に懐疑的な視線を現在進行形で向け続けている僕としては、話しの流れで、他者にエールを送る際、どういう言葉選びをすれば良いものか、などと、返答に苦慮するケースも、しばしばある。その結果、伝えるべきタイミングを逸してしまい、時すでに遅し、といった状況になってから、自己嫌悪に陥る。そんな苦い思い出も多い。

お酒の席で、気の置けない間柄のメンバーに対しては、そんな僕の「面倒臭いアピール/面倒臭いエピソード」を、酒の肴として提供することもあるのだが、決まって返されるのは「考え過ぎや」といった類いのノリツッコミか「話の流れで言えばええねん、挨拶みたいに」といった類いのアドバイスである。

僕は、ノリツッコミもアドバイスも、どちらかと言えば、耳から入って耳から抜ける、といった具合に聞き流してしまっていたのだけれど、三十路手前の段階になって、ようやく、後者の考え方「話の流れで言えばええねん」という重要性に、少しずつ、少しずつ、気付きつつあるのかな、と、思えてきた。

本心本音を吐き出せば「心から思ってもいないことをサラッと口に出すなんて、むしろ相手に対して失礼に当たるのではないか」といった反発の精神が、無いわけではない。いや、かなり有る、と書いた方が適切であろう。しかし、一方では「社交辞令」という考え方もまた、他者と円滑なコミュニケーションを図る上では、避けては通れないのもまた事実なのである。

つまり、僕の心情を、敢えて言語化するのであれば、

「本意では無いのだけれど、むやみやたらに敵を作ってしまうこともまた、本意ではない。両方とも本意ではない。いわば、イバラの道。しかし、どちらかを必ず選択しなければならない。その現実を受け入れた上で、二つを天秤にかけた結果『敵を作る』よりも『社交辞令』を選んだ方が、自分の人生をより良いものにしていく上では、ベター、なのかな。ベストを選べない以上、ベターを選ぶべき、だもんね…。」

ざっと、こんな感じと言えよう。

こうやって書いている今この瞬間も、自分自身に対して「もうちょっと気楽に物事を考えられないものかねぇ…。」だとか「世渡り上手の道は果てしなく険しいなぁ…。」などと、まるで他人事のように、自分のことを俯瞰していることに気が付く。この感情は「虚無感」に近いのだろうか。それも良く分からない。ただ、唯一、顔の動きから読み取れたことがある。口角がわずかに上がっていた。果たして、これは何を意味するのだろうか?

「笑顔」というのも、僕にとっては、理解するのがとても難しく感じる。それを裏付けるように、人が笑っているさまを表す語彙は、ココで列挙するのを早々に諦めるぐらいには、数え切れないほど存在している。言葉の数が多いということは、それだけ、笑顔が意味する感情が、多岐にわたるということでもある。さらに付け加えると「笑顔=プラスの感情」という認識が一般的だと思われるが、悲しいかな、「嘲笑う」という表現に代表されるように、マイナスの感情を孕んでいるとされる語彙も、やはり、数多く存在しているのだ。

そこまで思いを巡らせると、わずかに口角が上がったことを意味しているのは、言葉で表現するのであれば「自嘲」が、最も相応しいのではないだろうか。要するに「自らを嘲笑う」ということだ。「ホント、お前ってヤツは、どうしようもねえなぁ…。」などといったニュアンスで、自分を小馬鹿にするように、フッ、と、口角が上がったのではないかと思われる。

最期に付け加えておくと、僕は「自嘲」と思われる笑い方を、割と結構、やってしまうタチでもある。さらに、これも認めざるを得ない、と諦めた上で、正直に申し上げておくと、言外に「まぁ、そんな自分も、なんだかんだ言って好きなんだけどねぇ…。」という、ある種の自己陶酔の念も、無いわけではないのだ。ゆえに、長い年月が経っても、なおる気配がない、どころか、さらに拗らせているのであろう。言ってしまえば当たり前のことじゃないか。だって、そんな自分も嫌いじゃない、いやむしろ、大好きだったりするのだから…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?