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ペリクレスの葬礼演説を古典ギリシア語で読んでみた【第5回】

今回は、訳者によってかなり意見の割れる箇所になりますので、なぜ私がその訳を採用したかについても説明していきます。

ペリクレス葬礼演説解説の第1回目はこちら
ペリクレス葬礼演説解説の第4回目はこちら

原文(Thuc. 2.35)と翻訳:5文目

μέχρι γὰρ τοῦδε ἀνεκτοὶ οἱ ἔπαινοί εἰσι περὶ ἑτέρων λεγόμενοι, ἐς ὅσον ἂν καὶ αὐτὸς ἕκαστος οἴηται ἱκανὸς εἶναι δρᾶσαί τι ὧν ἤκουσεν: τῷ δὲ ὑπερβάλλοντι αὐτῶν φθονοῦντες ἤδη καὶ ἀπιστοῦσιν. 
※底本:Thucydides. Historiae in two volumes. Oxford, Oxford University Press. 1942.

筆者翻訳
すなわち、他者に関して語られる称賛は、各々が自身において、聞いたことが幾分か実行可能だと考えるであろう限り、その範疇では受容され得るのである:よって、これらを超えることに対しては、すぐに嫉妬し、信じることすらしない。

解説:語彙

・μέχρι:前置詞、属格(τοῦδε)を取って「~まで」「~の範疇で」
・γὰρ:小辞、前文の理由を説明する。「すなわち」
・τοῦδε:基本形はὅδε、指示代名詞・男性・単数・属格、「その」
・ἀνεκτοὶ:基本形はἀνεκτός、形容詞・男性・複数・主格、「受容し得る」
・οἱ:冠詞・男性・複数・主格、ἔπαινοίに掛かる。
・ἔπαινοί:基本形はἔπαινος、名詞・男性・複数・主格、「称賛」
・εἰσι:基本形はεἰμί、動詞・現在形・能動態・3人称複数・直説法、「~である」
・περὶ:前置詞、属格(ἑτέρων)を取って「~について」
・ἑτέρων:基本形はἕτερος、形容詞・男性・複数・属格、名詞として扱う。「他の者たち」
・λεγόμενοι:基本形はλέγω、動詞・分詞・現在形・受動態・男性・複数・主格、ἔπαινοίを修飾する。「語られる」
・ἐς:前置詞、ὅσονとセット。
・ὅσον:副詞、「~である限り」。ἐς ὅσονという形でしばしば登場する。
・ἂν:小辞、接続法と合わせて期待・予測を表す。ここではοἴηταιと繋がる。
・καὶ:副詞、強調を表す。
・αὐτὸς:基本形は同じ、再帰代名詞・男性・単数・主格、ἕκαστοςに掛かる。「自身」
・ἕκαστος:基本形は同じ、形容詞・男性・単数・主格、名詞として扱う。「各々」
・οἴηται:基本形はοἴομαι、動詞・現在形・中動態・3人称単数・接続法、主語はἕκαστος、不定詞(εἶναι)を取って「~と考える」
・ἱκανὸς:基本形は同じ、形容詞・男性・単数・主格、不定詞(δρᾶσαί)を取り「~可能」
・εἶναι:基本形はεἰμί、動詞・不定詞・現在形・能動態、「~である」
・δρᾶσαί:基本形はδράω、動詞・不定詞・アオリスト形・能動態、ἱκανὸςに繋がる。「実行すること」
・τι:基本形はτις、不定代名詞・中性・単数・対格、副詞的に訳す。「幾分か」
・ὧν:基本形はὅς、関係代名詞・中性・複数・属格、ὧν ἤκουσενで従属節を形成し、ἤκουσενの作用で属格になっている。先行詞は省略されている。「~こと」
・ἤκουσεν:基本形はἀκούω、動詞・アオリスト形・能動態・3人称単数・直説法、主語はἕκαστος、「聞いた」
・τῷ:冠詞・男性・単数・与格、ὑπερβάλλοντιに掛かり名詞化する。
・δὲ:小辞、前文を受けての説明を表す。
・ὑπερβάλλοντι:基本形はὑπερβάλλω、動詞・分詞・現在形・能動態・男性・単数・与格、属格(αὐτῶν)を取り「~を超えること」
・αὐτῶν:基本形はαὐτός、代名詞・男性・複数・属格、ὑπερβάλλοντιに掛かる。「これら」。"ἐς ὅσον ἂν καὶ αὐτὸς ἕκαστος οἴηται ἱκανὸς εἶναι δρᾶσαί τι ὧν ἤκουσεν"のことを指す。
・φθονοῦντες:基本形はφθονέω、動詞・分詞・現在形・能動態・男性・複数・主格、与格(τῷ ὑπερβάλλοντι)を取って「~に嫉妬する者たちは」
・ἤδη:副詞、「すぐに」
・καὶ:副詞、強調を表す。「~すら」
・ἀπιστοῦσιν:基本形はἀπιστέω、動詞・現在形・能動態・3人称複数・直説法、「信じない」

解説:構造

余分なものをそぎ落としていくと、主文の基本的な構造は下記になります。

主語:οἱ ἔπαινοί(称賛)
動詞:εἰσι(は)
補語:ἀνεκτοὶ(受容され得る)

ここに、前置詞やら分詞やら修飾していくと、

主語:οἱ ἔπαινοί(称賛)+περὶ ἑτέρων λεγόμενοι(他の者に関して語られる)
動詞:εἰσι(は)
補語:ἀνεκτοὶ(受容され得る)+μέχρι γὰρ τοῦδε(その範疇では)

になります。ここでμέχρι γὰρ τοῦδεが一体何を指しているのか少し悩みましたが、ἐς ὅσον~の節を言い換えたものという解釈に落ち着きました。
JowettやHobbesの英訳も確認してみましたが、私の理解の限りでは、μέχρι γὰρ τοῦδεは明確に訳されていませんでした。訳をすっ飛ばしているのか、あるいは私同様にἐς ὅσον~節の言い換えと取って、敢えて分かりやすいように訳していないのか…。
ちなみに、久保氏はこの箇所を「…聞き手の自信を限界とし、その内にとどまれば…」と訳されており、私と同じ解釈のようです。ただ、ἐς ὅσον~節を大胆にも「自信」の一言に集約しているように見受けられます。分かりやすさを重視した意訳だとしても、ちょっとやりすぎ…?

※念のため、同文の訳(4パターン)を掲載しておきます。それぞれ訳者の味が出ていて面白いですね。
Jowett: Mankind are tolerant of the praises of others so long as each hearer thinks that he can do as well or nearly as well himself, but, when the speaker rises above him, jealousy is aroused and he begins to be incredulous.

Hobbes: For to hear another man praised finds patience so long only as each man shall think he could himself have done somewhat of that he hears. And if one exceed in their praises, the hearer presently through envy thinks it false.

Dent: For men can endure to hear others praised only so long as they can severally persuade themselves of their own ability to equal the actions recounted: when this point is passed, envy comes in and with it incredulity.

久保氏: なぜなら、他者への讃辞は聞き手の自信を限界とし、その内にとどまれば素直に納受されるが、これを超えて讃辞を述べれば、聞き手の嫉妬と不信をかうにとどまる。

ἐς ὅσον節の構文は、下記になります。

・骨組み
主語:ἕκαστος(各々が)
動詞:οἴηται(考える)
目的:εἶναι(であると)

οἴηται以下が不定詞が連続し少しややこしいですが、丁寧に見て行けば以下の構文になっていることが分かります。

οἴηται +(εἶναι ἱκανὸς = be動詞+形容詞「可能である」) +(δρᾶσαί =ἱκανὸςと繋がる不定詞「実行することが」) +(ὧν ἤκουσεν =δρᾶσαίの目的語「聞いたことを」)+ (τι=副詞的「幾分か」)

τῷ δὲ ὑπερβάλλοντι αὐτῶνのαὐτῶνは何を指す?

最後の文の構造は下記になります。

主語:省略(複数の聞き手は)
動詞:φθονοῦντες(嫉妬し) + ἀπιστοῦσιν(信じない)
目的:τῷ ὑπερβάλλοντι (超えることに対して)

φθονοῦντεςもἀπιστοῦσινもどちらも与格を取ることができるので、τῷ ὑπερβάλλοντιは両方の動詞の目的語になっていると考えても差し支えはないと思います。問題は、τῷ ὑπερβάλλοντιとセットになっているατνです。

先に上げた訳文だと、Jowettは"him"、Hobbesは"their praises"、Dentは"this point"、久保氏は「これ」としています。Marchantのコメンタリーでは"their praises"(τῶν ἐπαίνων)であると指摘しています。たった1語ではありますが、ここまで意見が割れているとは…!

それ以前に、τῷ ὑπερβάλλοντιを人と取るかコトと取るかでも意見が割れています。Jowettは人と取っているようです。Dentと久保氏は、分かりづらいですが、コトと取ってるんでしょうかね?Hobbesは"one"としていますが、人とコトの区別を敢えて曖昧にしているのかもしれません。

私は、τῷ ὑπερβάλλοντιをコトとまず解釈しました。「超えること」という訳ですね。主文の主語はοἱ ἔπαινοί(称賛)であり、意図するところは「話し手」や「称賛の受け手」ではなく、「話されている内容」になります。τῷ ὑπερβάλλοντιも「話されている内容」に準じ、コトにした方が自然だと思います。

そして、問題のαὐτῶνですが、私は ἐς ὅσον~節の言い換えじゃないかと思いました。つまり、μέχρι τοῦδε(その範疇)ですね。τοῦδεが単数形なのに対し、αὐτῶνが複数形になっているのは、ἐς ὅσον~節の主語は単数形なのに対し、 τῷ δὲ ὑπερβάλλοντι~の文は主語が複数形になっているからです。(主語が複数になれば、各人の許容可能な範囲も複数になります)上述の通り、Dentと久保氏も私に近い解釈だと思います。

逐語訳

すなわち(γὰρ)、他者に(ἑτέρων)関して(περὶ)語られる(λεγόμενοι)称賛は(οἱ ἔπαινοί)、各々が(ἕκαστος)自身(αὐτὸς)において(καὶ)、聞いた(ἤκουσεν)ことが(ὧν)幾分か(τι)実行(δρᾶσαί)可能(ἱκανὸς)だと(εἶναι)考える(οἴηται)であろう(ἂν)限り(ἐς ὅσον)、その(τοῦδε)範疇では(μέχρι)受容され得る(ἀνεκτοὶ)のである(εἰσι):よって(δὲ)、これらを(αὐτῶν)超えることに対しては(τῷ ὑπερβάλλοντι)、すぐに(ἤδη)嫉妬し(φθονοῦντες)、信じることすらしない(καὶ ἀπιστοῦσιν)。

ペリクレス葬礼演説解説の第6回目はこちら

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