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子供がホントに見たいものって


Alohaです。

息子を送り出した次の日の夜

夕食時妻に尋ねました。

そしてわかった事、
思い出したことがあります。

以下羅列していきます。

子供が一番知りたかったこと。

親の本音。

それは理屈じゃなく

親が親らしく素直に生きている姿。

自分の親が1人の人として素直に生きている事に喜びを感じる。

リューくんが父に見たかったのも
そう言うことじゃなかったのか。
(たしかに、、、)

だから不器用でもいい親の本音を
子供は見たい。

それが不器用なまんま出して
本音を言えなかったことですら

時間が教えてくれる

自分の成長とともに。
(たしかに、今となって自分の父親の当時の状況、時代、そして生い立ち、歴史、背景、そして自分が子育てをするにあたっての壁に幾度となくぶち当たったこと、そこで少しずつその当時の父を認められていったこと。あの時あんな不器用な態度だったことも、頭ごなしに叱られたことも。)


投球がイマイチだった時に
かけてほしかったのは

社会一般の父としての言葉ではなく

りゅーじの言葉としてかけてほしかった
(奥さんはあの時も
 そんな事を私に言っていた気がする。)

今回の祝詞でよかったのは

りゅーじらしさが出てたから

りゅーくんがりゅーくんとして、
何気なく出した

リューくんらしさ

親らしくあるというのは、
一般的な親としての象徴ではなく、
自分の本音をどこまで見せられるか

死んでから響くことがいっぱいある

形はなくとも存在は生きる
(まさにそう。亡くなって行った義父、自分の祖父、その他の人々もいつでも自分の中にいて微笑んでくれる。力になってくれる。)

死んでから響くこともいっぱいある

それは肉親を亡くした人しか
分からないかもしれない



不思議だよね

いきてるって

そう言うことが生きてることの醍醐味

それが人間の楽しさかなあ

リューくんしかかけてあげられない言葉が
あるんだよ


世界中の沢山の人の中で
息子の父親はリューくんしかいない


世間とかそんなことどーでもよくって


リューくんがその時どう思ったか
かけてほしかった


でもりゅーくんは
息子のことを伺ってとか、
周りを伺ってとか、
投手の親であるという形に気を取られて

たったひとりの息子の親として
声をかけられなかった

これは母親にはできないこと


リューくんが
言葉がでないーーーって
手を握るしかできないとする

でもそれがあとあと響くものになる


それはホントに理屈じゃ無い、、、

そして妻の父親の話し(私で言う義父)

義父が、中学の頃バレー部で遅くなった夜。
帰りの道中、親父がきて
自転車で何も言わずに一緒に
着いてきてくれた。

何も言わんけど
あの時の親父の行為は嬉しかったと

義父の親父は不器用な人だった

言葉じゃなく心の行動

愛からの行動

それに育まれた

苦労が多かった親父

愛情がいっぱいだった

義父が結婚をすることになり結納の当日、

母親のお腹に赤ちゃん(奥さん)がいるのを
義父は親父に打ち明けた。

親父はうん分かった、と一言だけ言って



奥さんの家に挨拶にいき

お嬢さんのお腹には赤ちゃんがいます。
だから一緒になって下さい。

そう挨拶をしたと言う。


言葉とかそんなんじゃなくて


子供にとって世界にひとりの父親として


不器用ながら愛を伝えて欲しい

そう妻は言いました。

ちょっとぐちゃぐちゃですが
そう言った事を言われ、
自分があの時かけてほしかった
言葉(存在)を思い出し、

自分が息子に見せる姿も
それが1番大切だと感じました。

そしてそれは存在として
その人の力になるということ。

今日も、読んで頂き本当に有難うございます。

この投稿があなたを前向きにさせてくれたら
嬉しいです!



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