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幸せなルールとは?

こんにちは
中井です。

11月ももう終わりに差し掛かりイルミーションが
眩く輝く街並みになってきました。

街並みに生い茂る木々には、一本一本イルミネーションが飾っており
そこで自分は思ったのが、
「果たして木て街中にあるべきなのか?」
「この木の気持ちってどうなのか?」
とふと思いました。

木の立場になって考えて見るとどちらに思いますか?
幸せですか?
不幸せですか?

見た目だけ見ると、
足元の根は、コンクリに当たり、グネッと直角に曲がり
「あっちに行きたい!!」
という根の気持ちを遮っているような感じに見えました。

ここでおそらくほとんどの人が、
”不幸せ”と思うのではいでしょうか?

ただ、僕が最初に思った問いは「果たして木て街中にあるべきなのか?」
という問いです。

この問いなら木は”幸せ”だと僕は思います。
なぜかと言うと
”街中にある役割を果たしているから”
だ思うからです。

街中に木について考えていた時、
人間社会も似たような事があるなと思いました。

最近は、フリーランスの方や自分独自の思想を持って情報発信をして
地位を確立してきている方が増えてきております。

僕も結果的に25歳の時に雇用される立場でなくなって、もう5年経ちます。
よく独立を目指したいと言う方から色々聞かれる事が多くなりました。

昔は、自由な働き方と言うのが自分はいいなと思っておりましたが
最近は正直どっちでもいいて思ったりしています。

自分で会社持っている以上は今の立場を貫こうと思っておりますが
他人に関しては正直わからないし、どっちでもいいw

さっきの木の話に戻ると
街中にあるという環境だからこそ成り立つ事もある事を考えてほしい。

街中だから成り立つ事は
常に綺麗な見た目でいられる事
だと思う。

木は自然の中にあるものと言う概念があると、
街中に木があるというとネガティブなイメージに
なってしまうかもしれません。

もう一度、人間社会に戻って例えると
”縛り”
”閉鎖的”

と言う言葉がイメージになると思いました。

ただ、これがあるから幸せだと思う事もあると自分は思います。

古代ローマのキケロの言葉で
武力がものをいえば法律は沈黙す。
という言葉がある。

この武力というのが、僕は感情というのが根幹にあると思っている。

縛りがあるから感情が抑制されているし、
それによって社会性が保てていると思っている。

制限がやだ
雇われるのがやだ

こういうのも感情が根幹にあります。

ただ、これを抑制するのがシステムや法律などである。

自分はどのポジションが自分自身の最善幸せなのかと常に考えている。

て言ったら今が不幸せっぽく見えるかもしれませんねw

でも、いいんです!!
そうやって問い投げて考えている事が
今の僕にとって幸せだと思っております。

ほなまた👋

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