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大切なものほど距離感がわからなくなる

大切なものはいとも簡単に壊れる。いくら気を使っていたとしても、ほんの少し気を緩めただけで簡単に壊れてしまう。その理由は大切なものほど距離感がわからなくなるためだ。そして、失った事実を嘆き、修復を祈ったところで、その祈りは誰にも届かず空を切る。

「あなたの大切なものはなんですか?」

これはよくある常套句の質問だ。家族や恋人、友人と答える人もいれば、思い出のものや場所を答える人もいて、その答えは千差万別。そして、その人が大切にしているものにこそ、その人の人となりが現れ、不可侵のバリアのように線引きしてしまう。

大切なものが変わらないこと。それが1番の望みではあるけれど、現実はそううまくはいかない。大切なものは人生のフェーズごとにことごとく変わっていくものだ。学生時代に大切にしていたものが今はどうでもいいなんてことはよくある話で、逆に学生時代は見向きもしなかったことが大切なものになっている場合もある。それでも大切なものが大切じゃなくなったときは悲しくなるし、もう取り戻せないと知った瞬間に、穴に塞ぎ込んでしまいたくなるぐらいの後悔に苛まれる。

人生のフェーズが変わる以外の大切なものを失うきっかけは、大切だからこそ、距離感がわからなくなるからに他ならない。本来は繊細なガラスのように取り扱いに注意しなくてはならないのに、大切だから自分のダメな部分を見せてしまったり、言わなくてもいいことを口走ったりする。それは紛れもなく心を開いている証拠なんだけれど、距離の測り方を間違えると大切なものは簡単に壊れるのだ。

大切なもの、いや、それ以外のものでも壊さないためには、適切な距離の測り方を知る必要がある。適切な距離とは依存しすぎずし、頼らなさすぎずの関係であることだ。思いやりと呼ばれる配慮や尊敬の念を持って相手に接していれば、大切なものは壊れない。それはみんな百も承知の上である。

適切な距離の測り方はネットにも記載されているし、あらゆる自己啓発本にも記載されているにも関わらず、いざ大切なものを目の前にすると、心と体の制御が効かなくなってしまうのだ。

最初は相手も「人には見せられない部分を自分には見せてくれる」と喜んでくれるものだ。それが段々エスカレートしてしまうと、喜びは我慢へと変化を遂げる。我慢のキャパが限界を超えた瞬間に、その関係性は崩壊し、大切だったものが突然自分の元から去っていく。相手側の嘆きはもちろんあった。でも、嘆きは周りが見えていない自分には虚しくも届かずに空を切るから、嘆きにすら気づくことができない。

大切なものを失ったと後悔したところで何も意味はない。それに人は失わなければ、大切なものの本当の大切さを知ることができない愚かな生き物である。もし後悔に意味があるとするならば、次の大切なものに対して、同じ失敗をしないと胸に刻み込むぐらいだろうか。

大切だから周りが見えなくなる。大切だから言わなくてもわかると思ってしまう。大切だから配慮や尊敬を忘れてしまう。大切だから自分本位になってしまう。

「大切なものができる」とは自身の本音を見せられる可能性を秘めているもので、「大切なものを失う」とは自分の本音が相手に受け入れられなかった証拠だ。

以上を踏まえ、大切なものをちゃんと大切にするために、自分本位にならず、相手を尊重する人間でありたい。そして、適切な距離を測りながら相手と接するように心掛け、大切なものが壊れることなく、いつまでも側にある形であってほしい。

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