たとえ映画の主人公にはなれなくとも

あいも変わらずありきたりな日常を生きている。朝、目が覚めて、仕事をして、また眠りにつく。日常は映画のようにはならなくて、ただの日常をただぼんやりやり過ごしている事実を、ふとしたときに思い知らされる。

もし、じぶんが映画の主人公だったら、今は映画のどのシーンなんだろうか。独立して、難病になって、もう死んでしまいたいと願う夜もたくさんあった。そして、死ぬ理由もないから、生きているだけなのに、生きることには必死なじぶん。

きっとまだエンディングとは程遠い。映画の主人公にもなれていない。誰かの夢は、じぶんの今やっていることだと聞いたことがある。誰かの夢を叶えているのかもしれないが、じぶんの夢はまだ叶えられていない。

そもそも、ぼくの夢はなんなんだろうか。わからない。数年前までは明確な夢があったけど、じぶんが叶えなくてもいいと気づいた結果、ぼくの夢は簡単に敗れ去った。簡単に諦める夢は、本当にやりたいことなんかじゃない。

でも、夢がなくても「生きる」は成立する。ちゃんと仕事をして、ちゃんと遊んで、ちゃんと生活をすれば、生きるのは困らない。だから、夢が必要ないのではないかと、思ってしまうときある。いまはじぶんの頭の中が、うまく整理できていない。

じぶんのやってきたことを簡潔に整理すると、文章で生活をできるようになったことだ。でも、まだ世の中で大きい声を挙げて、戦えるようになったわけではない。もっと大きな舞台で、活躍できるようになりたい。とはいえ、もっと大きな舞台とはなんだ。文章にもいろんな種類がある。エッセイやコラム、取材記事や小説、コピーなどたくさんの種類がある中で、どの大きな舞台を選ぶかは、まだ明確ではないため、早急に決める必要がある。

生きる上で、誰かに認められたい、褒められたい、必要とされたいという気持ちが強い。誰からも求められなくなったら、ぼくはきっと、生を諦めてしまうだろう。とはいえ、じぶんのやりたいことを、好きにやってもいいのが人生だ。承認欲求を満たすために、生きるのではなく、じぶんのために生きた方が生きやすいのだろう。

大勢の人に囲まれる人生も悪くないし、ひとりで過ごすよりは、たくさんの人が周りにいたほうが、絶対に幸せだと思う。

でも、人生は生まれたときもひとり。死んでいくときもひとり。どれだけ好きな人がいたとしても、どれだけ誰かに好かれたとしても、人間は生まれてから最後までひとりのまま。

どんな決断もひとりで決めなくてはならないし、行動もひとりで起こさなければならない。そして、決断も行動も、すべてが自身の責任となり、誰のせいにもできないのだ。ひとりで生きていく事実を受け入れたものは、他人に干渉されても、じぶんの道を選ぶことができる。

たとえ人生が映画のようにうまくいかなくても、その事実を受け入れる強さが欲しい。そして、うまくいかなった事実すらを忘れて、愚直にやりたいことを追いかけるひたむきさも欲しい。人生は、欲求だらけだ。欲にまみれて、潰れるか。欲を味方につけて、勝ちをもぎ取るかはじぶん次第。

秋が終われば、冬が終わる。そして、春が来て、夏が来る。季節の移り変わりのなかで、じぶんの納得がいく選択を常に選んでいたい。

たとえ映画の主人公になれなくとも、じぶんの人生を懸命に生きたいものですね。

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