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左目の再手術が決まった

2年前にベーチェット病を発症し、ぶどう膜炎を発症した。そして、ぶどう膜炎から併発する白内障になって、それを治す手術をするために、入院してから今日で丸々3週間が経った。

手術から退院までのおおよその見込みは1〜2週間だった。ところが、もう3週間も入院しているのだ。術後の経過が良くない。なかなか眼圧が下がらず、入院生活を余儀なくされている。眼圧を下げるために、目薬の本数や回数を増やしたりしたのだけれど、効果は全くなし。目薬をやめ、飲み薬に切り替えた途端に、少しだけ眼圧は下がったのだけれど、それでも退院するには至らなかった。

先程、主治医の診察を終え、再手術を受けることが決定した。これを乗り越えれば良くなると前向きに捉えている自分もいれば、もう嫌だと嘆いている自分もいて、正直心中は穏やかじゃない。

前向きになる。

そう決めた瞬間にすぐに後ろ向きになるきっかけが襲い掛かる。入院生活はきっとこんなものだ。そう理解はしているものの、思うように心がそれを受け入れてくれない。診察を終えてすぐに飯の時間だったけれど、とてもじゃないけれど、食べる気分にはなれない。看護師さんに話をされても、涙を流しているから無愛想な態度を取ってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

空を眺めると、今にも雨が降りそうだった。空が自身の悲しみに寄り添ってくれているのだろうか。それと同時にこんなときに悲しみに寄り添うなよと軽率に思ってしまった。気持ちが落ちているときは、やさしくされると涙が零れ落ちそうになる。今回はそれが人ではなく、空だった。空を眺めていると、いともたやすく涙が零れた。

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6階から眺める景色はとても綺麗だ。毎日眺めている景色も日によって顔を変える。それを見るのが日課になっているのだ。ひとしきり涙を流し終えた後に病室に戻ると看護師さんから「ご飯置いといたんで食べてくださいね」と言われた。またしても涙が出そうになる。

ベッドに入り、移動式の机を自分の目の前に持ってくる。すると、目の前に飯が並んだ。これがドラマや映画だったら感情に身を任せ、飯を机からはたき落としていたかもしれない。それをしなかったのは大人だからで、作ってくれた人への申し訳なさが理由だった。しかも、ここはドラマや映画の世界ではなく、現実の世界である。食事を机からはたき落すなど、とてもじゃないけれど、僕にはできない。

泣きながら飯を食っても、不思議と味は変わらない。飯は不味くなるどころか、体はいつも通りちゃんと美味いと感じている。心と体がうまくかみ合っていないような気もするけれど、今回はそれに救われた。

体はいつだって正直だ。手術の悲しみもきっと明日にはなくなっているはず。そう信じて今日は軽率に涙を流してしまおう。暗闇の中の一縷の希望に縋り続けるのであれば、きっと泣いたっていいし、喚いたっていい。

月並みな言葉だけれど、大事なのは泣いた後に何をするかである。そこで何もしなければ、ずっと負け犬のままだ。明日を変えるために今日を生きたならきっと明日は明るい。そう信じて、今日は眠りに就こうと思う。

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眠れない夜に

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