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文章なんてぜんぶ嘘だから

「あの人、書いていることとやってることが全然ちがうじゃん」

SNSやnoteなどあらゆる媒体で、いろんな人が文章を書いている。それに伴って、文章どおりの人間と文章どおりじゃない人間の2パターンの人間を見る機会も増えた。

「文章は人を表す」と人は言うけれど、それは必ずしも事実ではない。

やさしい文章を書く人が実は冷たかったり、冷たい文章を書く人がやさしいなんてことはよくある話だ。人間の本質は、実際に話さなければわからないもの。でも、実際に話したとしてもわからない場合だってあるから、根っこの部分は自分以外の人間は知り得ないのだろう。

文章では簡単に嘘をつける。嘘と言ってしまうのは、些か乱暴かもしれないけれど、文章に書いた生き方ができていないのであれば、それは嘘になり得る可能性もあるって話だ。

でももしかしたら文章は、「こうなりたい」という願望の現れを書いているのかもしれない。それは祈りに近いもので、書いているような人間になりたいと本気で祈っているから、自分の願望を祈りのように、文章として残している。

「やさしくありたい」と書いている人間は、それが実体を伴っているかどうかは別として、優しくありたいとずっと祈っている。そして、やさしい人間になるために、日々模索しながら生きていて、上手くいったりいかなかったりもするのだろう。

文章は祈りだ。そして、文章では簡単に嘘をつけることも事実である。

だからこそ、自分の書いた文章が嘘にならないように、書いた文章を胸に秘めながら毎日を過ごさなければならない。

自分の書いた文章に責任を持つ。

書いた文章どおりの人間になることが、書き手の祈りであり、使命でもあるのかもしれないね。


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