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人生の幸福論

あなたはいまじぶんが幸せだと感じられているだろうか?

国連の世界幸福度報告書によると、日本人の幸福度は世界で58位らしい。これだけ物や環境が用意されているのにも関わらず、多くの人が幸せだと感じることができていないって悲しくない?

なんでなんだろうか?

どこに行っても物を買えるし、24時間空いているお店だってある。食に飢えて死ぬこともほぼないから、幸せのハードルが上がってしまっているんだろうか?

最近、僕は幸せだと感じることが多くなった。学生時代と比べたら幸せのハードルがグンと下がったことは間違いない。

1日の締めとして、夜眠りにつく前に、良いことがあったかどうかを振り返るようにしている。1日を振り返る理由は、眠りにつく前に、今日のできごとの振り返りをして、良かったことを噛みしめながら次の朝を迎えたいからだ。

1分1秒に意味があって、できるだけ時間を無駄にしたくないというのが本音。でも無駄な時間も、たまに過ごしたいという矛盾を抱えながら今日も生きている。

どんな些細なことでも良い。良いことがあったのなら、もうそれだけで生きていた価値があるってのはちょっと大げさか。

たまたま入ったカフェが当たりだったこと。雨上がりの夕日が綺麗だったこと。桜が綺麗だったこと。好きな人が今日も生きていたこと。寝癖が酷くなかったこと。

些細なことでも幸せを感じるようになった。嫌なこともそりゃもちろんある。嫌なことはさっさと忘れて、捨て去りたい。次の日にはなに食わぬかをしていたい。でも、嫌なことを引きずってしまう時もたまにある。

次の日になったからといって、劇的に変化するわけでもない。昨日のじぶんが今日のじぶんなんだもん。違う自分になったわけではない。そんなすぐに切り替えられるわけなんてないよ。だって人間だもの。

改めて問う。

「幸せってなんだ?」

幸せは実態がないもの。幸せって人によって基準が違うし、その人の捉え方によって変わる。僕が幸せだと感じたことは、もしかしたらあなたにとっては、幸せなことではないのかもしれないし、他人が感じた幸せがじぶんにとって幸せなことではない場合もある。

でも、それで良いんだよ。幸せってのはさ、じぶんが感じた時に存分に噛みしめりゃ良いのよ。いま幸せかどうかを決めるのは、絶対にじぶんだ。他人の幸せの物差しなんて無視すればいい。

28年生きてきてわかったことは、幸せのハードルは低いほうが幸せに生きやすいってこと。幸せの指標は高いほうがいいけれど、あまりにも高すぎると幸せを感じる時間が少なくなってしまう。そんなの悲しいじゃん。だから、僕は幸せのハードルを低くして、少しでも多くの幸せを感じていたい。

そして、些細なことで幸せを感じることができれば、誰かに優しくできるような気がしている。誰かに優しくできた分、誰かに優しくしてもらえるのだ。

でも、優しさの見返りを求めているわけではない。優しいと思われたくてやってるわけではない。優しさが廻り回ってあったかい世界が形成されればそれで良い。

さて、あなたは小さなことに感動できているだろうか?

「もし小さなことに感動できていないのであれば」とかいうやつあるけど、いったん黙ってほしい。そんなものはばいばいきーんですよ。はい。少し調子に乗りました。反省。

幸せの尺度はじぶんで決めていい。あなたが幸せだと思ったことが幸せなことなの。そして、じぶんが幸せだと思える時間を増やす努力をしよう。

幸せは突然降ってくるようなものではないから、じぶんで掴みに行こうな。

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