死にたい夜にかぎって
いままでに、死にたいと思ったことがなんどもある。お金がなさすぎてご飯を食べられなくなったとき。通帳残高が0円になったとき。夢が叶わないという事実を知ったとき。好きな人に振られてしまったとき。仕事で大きなミスをしてしまったとき。生きる意味がなくなってしまったとき。
SNSを開けば、キラキラした人間があまりにもたくさんいる。いや、本当はキラキラした部分しか見せずに、弱い自分を隠しているだけなのかもしれないし、彼らにもちゃんと葛藤があって、裏側ではちゃんと無理をしているのかもしれない。
死にたいと思うときはいつも夜で、死にたい夜にかぎって1人で過ごしている時が多い。死にたい夜にかぎって悲しいことを思い出してしまうし、悲しさにやられて涙を流してしまうときもある。でもなぜか死のうと思ったことは一度もない。その理由は自分に希望を抱いているからなのか。それとも絶望の奥にあるさらなる絶望に触れたいのからなのだろうか。
自分が死にたいと思うきっかけは、本当にいつもくだらない。くだらなさすぎて死にたくなるし、心の奥底では誰よりも生きたいと願っている自分がなによりも醜い。そして、他人に嫉妬してしまう自分も嫌だし、かといって自分のやりたいことを諦めきれない自分も限りなくダサい。
なぜこんなに死にたくなるのかもわからないし、なんで生きているのかもまったくわからない。そんなときにかぎって、いつも生きる意味を求めてしまうし、誰かに必要とされたくなる。誰にも必要とされていないわけではないとは思う。でも、「必要とされる」が形に見えないから不安なんだろう。
そして、気分が最大限に悪くなったときは、大抵家の下の公園で夜空を眺めながら、缶コーヒーを嗜む。近所の人たちが決まった時間にえさやりをしているから、たくさんの猫が餌を求めてやってくる光景をよく目にする。でもえさやりが終われば、10匹以上集まっていた猫たちは一目散に解散する。
深夜0時の真夜中の公園。いつもはいないはずの黒猫がいて、素朴な瞳でこちらを見ていた。自分と仲良くなりたいのか。人間という生き物に興味を持っているのか。しょぼくれている自分を嘲笑いにきたのか。それとも自分のテリトリーに入られる恐怖からの威嚇なのかはわからない。
野良猫の寿命は5年と、家で飼われている猫よりも10年以上短い。そして、野良猫は自分よりもはるかに過酷な環境でも懸命に生きている。黒猫の姿を見て、情けない自分に喝を入れたくなった。黒猫からすれば自分の悩みなんてたいしたことではないに違いない。
そして、猫たちに比べて自分の人生は長い。与えられた命をちゃんとまっとうする。そのために、今日も生きる。そして、明日も変わらず生きる。ただそれだけのことをただ頑張る。ときには泣いてもいい。失敗した過去に憂いを。これからくる未来に希望を抱いて今日もそっと眠りにつこうと思う。
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