【愛がなんだ】「幸せになりたいっすね」から考える幸せの定義
「幸せになりたいっすね」
映画『愛がなんだ』でナカハラが言った台詞である。以前『愛がなんだ』のテルコにまったく共感できないという記事を書いた。
この記事を書いてから1年近くが経ったが、やっぱりテルコの気持ちはわからないままだ。でも、なぜかナカハラの「幸せになりたいっすね」はずっと胸に残っていて、学生時代に同じ台詞をよく言っていたことを思い出した。
自分が不幸あるいは疲れているときは、他人の幸せがより眩しく見えるようになっているのかもしれない。本当は素直におめでとうと言いたいのに、なぜか言えなくて、SNSで流れてくる結婚報告やお仕事で〜をしました的な投稿を見たくない気持ちになる
普段ならなんとも思わないくせに、突如芽生える嫉妬心ってやつは本当に厄介だ。どれだけ他人が幸せだろうと自分にはなんの関係もないし、そもそも幸せの牌は減ることもなければ、増えることもないし、誰かと奪い合うものではなく、自分で手に入れるものである。
そういえば『マツコ会議』(日本テレビ系)で、ちゃんみながマツコ・デラックスに幸せの定義について質問していた。そのときのマツコの返しが非常に良かった。
他者を介さずに喜びを得ることってなんだろうと考えたときに、仕事で結果を出すとか、自分のお金で旅行をしたり、美味しいご飯を食べたりするとか、夜の公園でぼーっとするあの時間とか色々なことが思いついた。
もちろん他者を介する幸せもあっていいと思う。僕にも他者を介する幸せはたくさんあって、猫と暮らす時間であったり、友人や恋人と過ごす時間などだ。
こうやって自分の幸せについて考えてみると、幸せは2種類あるのかもしれないと思った。大切なのは自分の幸せと不幸の尺度をきちんと知っておくことだと思う。自分の幸せの基準を知らずに、幸か不幸は語れない。他人にとっての幸せが自分にとっては不幸である場合もあるし、その逆も然りである。
人によって幸せの基準がちがうからこそ、自分にとっての幸せをきちんと理解しておく必要がある。他人と過ごす時間でもいいし、自分ひとりで手に入れる幸せでもいい。目的がないままで「幸せになりたいっすねぇ」と言っても幸せになれる確率は上がらない。むしろ幸せから遠ざかるような気もしている。
たぶん幸せは自分の幸せの基準を知ることから始まるのだろう。他者を介さずに得る喜び、他者を介して得る喜び。その正体が一体なんなのかを突き詰める時間を取ってみると、幸せがグンと近づいてくるのかもしれない。
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