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毎日更新が、500日になりました

みなさん、ちょっと聞いてください。

じつは、毎日更新を始めて、本日で500日を迎えました。はい、ここ拍手するところですよ。ちゃんと拍手しましたか?心を込めましたか?

くだらない茶番はさておき、500日は節目としていい数字だから、喜べるものかと思っていたんだけど、本当にびっくりするぐらい平常心。1ヶ月達成したときのあの嬉しい気持ちは、いったいどこに行ってしまったんだろうか。ま、それぐらい習慣化できているって証明だから、別になんとも思ってないんだけどね。

もはやモチベーションなんて必要なく、更新を続けられているのは、自分を褒めてあげていいと思うので、今日は「えらいぞ!」って褒めてあげようと思うの。

最近は新しいお仕事に挑戦するチャンスを、たくさんいただけている。物書きとしてまだまだ全然だなぁって自負しているから、いろんな挑戦をさせてもらえるのは本当にありがたい。刺激のある日々を送ってはいるものの、悔しい思いをする日が圧倒的に多くて、もっと頑張らないとなって思う。

仕事のときは緊張感がマックスで、ずっと気を張ってしまいがち。でも、noteは自分の書きたいことを、自由に書ける心のオアシスのような役目を担っている。毎日更新を続けるために書いているのではなく、自分の心を整える場になってきているんじゃないかな。

文章を書く仕事の合間に文章を書くなんて、どんだけ文章が好きなんだよって話なんだけど、文章は自分には欠かせないし、どれだけ書いていても苦でもない。そして、文章を書く時間はたまらなく愛おしいし、愛おしいから、仕事にもしている。

愛に勝る動機は、きっとこの世にはないだろうね。愛があるから続けられるし、愛があるから頑張ろうと思える。つまり、愛が勝っているということ。愛がある理由は、紛れもなく自分が文章にたくさん助けられてきたからだ。助けられてきたからこそ、自分の注いだ愛情を文章として、誰かにお返ししたい。

愛とか綺麗事を並べているけど、実はnoteでは自分の思考を垂れ流しているだけ。思考の垂れ流しがちょうどいい息抜きになっていて、日々の仕事をまた頑張ろうって気持ちにさせてくれるんだよね。

つまり、やりたいからやっているだけ。やりたいからやるの中には愛が含まれていて、つまりどんなことも愛情がなければ、続かないってこと。自分の愛情を注げる文章だから、続いているだけで、愛情を注げないものを続けることはできないだろう。

500日間毎日更新を続けられてよかった。自分1人ではきっとここまで続かなかったはず。読んでくれる人や、応援してくれる人がいるからここまで来れた。まだ毎日更新をやめるつもりは更々ないけど、ここまで続けられて本当に良かった。

明日からも平常運転で毎日更新を続けていくので、今後ともよろしくお願いします。

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