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僕は母が胸を張れる息子になれているだろうか

7年前の2月16日(日)午前5時に、母が癌で亡くなった。母は最後は話すことすらままならなかった。でも、なぜか死ぬ直前まで僕の手をずっと握りしめていた。母に意識があったのかどうかはわからない。でも、母が僕の手のぬくもりに触れながら永遠の眠りについたのは事実で、あのときの出来事は今でも鮮明に記憶に残っている。

母が亡くなった事実を、僕は受け止められなかった。母が亡くなった直後の記憶だが、人生で1番大泣きした事実は覚えているけれど、それ以外はほとんど記憶にない。あまりにもショックが大きすぎる出来事だった。

先日母の妹と墓参りに行った時に、聞いた話だが、独り言を言いながら院内を何周もしていたらしい。母の妹に声を掛けられて、ハッとしたのかなけなしの笑顔で手を振っていたそうだ。なぜ手を振っていたのかはわからないし、手を振られた理由もあまりよくわかっていなかったそうだ。

その事実を僕は母が亡くなってから7年経ってから知った。人は本当に大切なものを失ったときに、虚無感に駆られるあまり意味のわからない行動を起こしてしまうのかもしれない。

そして、あの日から7年が経った。当時21歳だった僕は、28歳になったいまでも母が胸を張っていられる息子でいることができているんだろうか。もし胸を張れない息子だったら、悲しいし、もっと頑張らないとなって思う。

28歳になったいまも、好きなことばかりやって、他人に迷惑を掛けまくって、難病になって、毎日文章を書き続けている。他人に胸を張れる人生ではないのかもしれないけれど、僕はこれでも幸せに生きることができている。

今思い返すと、大学時代に教員の夢を諦めると1番最初に報告したのも母だった。父は厳しい人間だったため、やさしい母にまずは聞いてもらおうと思ったにちがいない。僕の予想通り母は否定せずに、僕の話を聞いてくれた。

そして、「あなたの人生なんだからあなたの好きなようにやりなさい。子どもは好きに生きて幸せになることが1番の親孝行よ」と言ってもらった。その言葉に何度救われただろうか。両親のためじゃなくて、じぶんのために生きることが親孝行につながるなんて僕は知らなかった。

だから、じぶんに子どもができたときにも、僕が母から掛けてもらった言葉をそのままそっくり子どもに掛けてあげたい。

母はいつも「りょうちゃんはどこに出しても、恥ずかしくない子だから安心しなさい。そして、誰かが敵になっても私はずっとあなたの味方だからね」と言っていた。母は亡くなるまで、ずっと僕の味方だった。おそらく天国に昇ったいまでも、僕の味方でいてくれているにちがいない。

母はあまりにも他人にやさしすぎた。そして、あまりにも自己犠牲に走りすぎる。あれほどまでに「他人のため」に生きた人間を僕は母以外に知らない。僕は母を尊敬しているし、母との日々の暮らしは僕の宝物である。そして、生涯努力したとしても、一生超えられないと思っているのも母だ。

「母は強し」という言葉は本当だった。守るもののために、いつも以上の力を発揮する。そんな母の姿を見て育ったからか、いろんな人に優しいと言われるようになった。でもさ、それはぜんぶあなたの受け売りなんだよ。あなたがしてくれたものを、ただ真似しているだけだ。母ちゃんの子に生まれて、僕は本当にラッキーだったよ。

母が亡くなってから7年が経った。僕は母が胸を張れる息子にちゃんとなれているだろうか。なにはともあれこれから先も母からもらったこの命を、丁寧に生きてみせるよ。

これは余談だが、母はお酒がめちゃくちゃ弱かった。お酒を飲んだらすぐに酔っ払ってしまう。知らない人に喧嘩を売って、僕と姉が本気で謝罪をして、許してもらったこともある。

あのヒヤヒヤした光景を、いまだに僕は忘れられない。僕がお酒に弱いのは母親譲りで、お酒の失敗だけはしないようにしようと心がけているのも、母から学んだ教訓である。

だから、また母と出会ったときは、お酒で乾杯するのではなく、母の大好きなミルクティーで乾杯できたら嬉しいな。

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