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不安と友達になること

安心を求めれば求めるほど、安心からは程遠い感情を、心にいとも簡単に住ませてしまう。安心とはなんだろうかと考えると、たくさんの物事が頭に思い浮かぶ。

友人や恋人がいること。お金に困らないこと。自立できたと感じる瞬間。友達と遊ぶこと。疲れた時に、愚痴を言いたい時に、じぶんに寄り添ってくれる人がいること。

心の安心は、自身の行動に大きな影響を及ぼす。でも、不安がなくならないのもまた変えられない事実である。

友人が仕事で結果を出したときの友人が結婚したという報告を、聞いたときの取り残されるかもしれないという不安。コミュニケーション不足に陥ったときの不安など様々な状況で、不安を心に住まわせてしまう。

友人からいい報告を受けたときは、嬉しい気持ちでいっぱいになるけれど、その裏には自身に対して焦りという不安が芽生える。でも、嬉しい気持ちは本物で、そこには嘘偽りはないため、全力で祝福したい。

「他人と比べるよりも、昨日のじぶんと比べなさい」という言葉を、いろんなところで目にする。客観的には人は人。じぶんはじぶんと考えられるのに、いざ自分ごとになってしまうと、比較の対象が友人や知り合いになってしまうのが厄介なところ。

頭では比較対象がじぶんだってことを、理解しているものも、心が理解してくれないのだ。だから、他人の幸せに不安を感じてしまうし、そんなじぶんに嫌気が差してしまう。

じぶんから進んで悪いループに入って、抜け出すために、さらに疲弊する。どうしようもないやつだと思うんだけれど、これが人間ってやつの性かと思って、乗り切るしかない。

もしかすると、自身に完璧を求めすぎているのかもしれない。理想像は高いほうがいいかもしれないけれど、あまりにも理想像が高すぎると、心が疲弊する。

そして、苦労して解決した不安は、また新たな不安を運んでくる。人生は不安とのいたちごっこだ。不安はなくならないと考えたほうが、生きやすいにちがいない。

不安がなくならないのであれば、いっそのこと不安と友達になりたいと思う。不安を味方につけて、自身の成長につなげていく。どうせなくならないのであれば、仲良くできたほうがいいに決まっている。

不安と友達になれますように。そして、自身が安心を感じる瞬間を、1秒でも長く得られますように。


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