見出し画像

その輪郭に触れて

君がずっと欲しがっていたものを、僕は最後まで君にあげることができなかった。ショーケースに並べられた銀の指輪を、君はずっとにやにやしながら眺めていたっけ。

たくさんの人が行き交う街で、ゆるりと夜風が吹いた。2月の風はまだひんやりして冷たい。徐々に日が長くなった空は、銀色になるときもあれば、青が一面を覆い尽くす場合もある。道がひどく混み、喉が乾いてしまったため、スタバのドライブスルーで、ホワイトモカのトールサイズを頼む。以前まではあすかが助手席に座っていたのに、いまはもう隣の助手席にはいない。

「私の指は9号だから、プロポーズのときまでちゃんと覚えていてね」と笑顔で嬉しそうに言っていたあすかの言葉が、ふと頭に浮かんだ。車の中にドリンクがひとつだけ置かれている。1つだけ並んだドリンクが、いまのじぶんの状態をものがたり、その事実をいまだに受け入れられない。

プロポーズができないまま終わった恋。恋愛はタイミングがすべてで、結婚もタイミングがすべてなんだろう。月明かりに照らされたあの夜に、あすかはぼくの元から去った。

でも、おそらくお別れした原因は、ぼくの決断が遅かっただけだ。あと1年早かったらぼくたちは同じ籍に入って、いまも幸せに暮らしていたにちがいない。きみが欲しがっていた言葉と指輪を、ぼくは用意できなかった。

2人の思いを終わらせるのはあまりにも簡単で、ぼくの思いを捨て去ることはあまりにも難しい。目の前が真っ暗になる。淡い希望を繋いで、一縷の希望は無残にも破れてしまった。デザートは後のお楽しみと、いつも食べずに残して冷蔵庫の中にしまう。

そして、ぼくはいつも結局デザートを、食べずに捨てる。あすかは「デザートはつまみになる」と支離滅裂な話をしながら、ショートケーキとチョコレートケーキを満足げに食べることもあった。

ぼくは好きなものを後で楽しみたいタイプで、味わえずに捨ててしまう場合もある。今回のお付き合いと同じだ。いや、捨てられたのはぼくだ。でも、デザートを楽しめなかったのはおんなじだから、捨てた捨てられたのちがいは、もはやなんだっていい。

ぼくとお付き合いをはじめる前から、あすかはずっと結婚したがっていた。周りの友達が結婚ラッシュで、じぶんも焦っているとかなんとか言っていたっけ。詳しいことはもう覚えていないけれど、ゼクシィが彼女の家に置いてあったことはいまでも覚えているし、一緒に住む家や子どもの人数、子どもの名前や将来やらせたい願望についても、話し合いもしていた。

その証拠に、あすかは「付き合う前から次にお付き合いする人は結婚する人だ」と言っていた。あすかの発言を真に受けて、ぼくも最初から結婚前提で彼女に交際を申し込んだ。2人はあっけなく結ばれ、ぼくの優柔不断のせいで終わってしまった。不甲斐ないという言葉で片付けられたら楽だけれど、言葉では片付けらないたしかな鎖が、まだ繋がれたままなのである。

お付き合いがはじまり、あすかはぼくが住んでいた家に引っ越すことになった。そのころのぼくは、1人で1LDKのマンションに住んでいて、場所を持て余していたため、彼女との同棲はこちらとしても都合がよかった。彼女の私物を車で運び終わったあのときに、ぼくの家はぼくらの家になった。そして、またぼくだけの家に戻る。

他愛もない生活を繰り返し、休日は外に行ったり、行かなかったり。家事は役割分担をして、どちらにも負荷がかからないよう細心の注意を払っていた。彼女の帰りが遅いときは、ぼくが料理をして、ぼくの帰りが遅いときは、彼女が料理をする。2人で一緒に帰ったときは、ぼくが食材を切って、彼女が味付けをしていた。洗濯は彼女の役割で、掃除全般がぼくの役割だった。

大抵のカップルが、やりそうなことはある程度網羅した。Netflixの韓流ドラマは泣きながら一緒に見たし、2人ではまったアニメの1クールを1日かけて見たこともあったな。彼女が好きな2Lのジンジャエールは瞬く間になくなり、コーヒーを淹れてその場を凌ぐ。そんなありふれた日常が2人の幸せだった。

喧嘩もそれなりにしたけれど、お互いに後に引きずらないタイプだったため、その日のうちにすべてが解決していた。いや、解決していたと思っていたのは、こちら側の都合のいい解釈だったのかもしれない。

喧嘩する時間よりも、楽しい時間が多いほうがいいと誰もが願うはずで、それは人生も同じだ。悪いことは1度も起こってほしくない。ぜんぶがいいことで埋めつくされればいいのに、そうは問屋が卸さない。

花粉症はアレルギーの箱が、アレルギーでいっぱいになったときに、発症する。恋人同士のお別れも、あれに似たようなものだ。不満やストレスの箱がいっぱいになって爆発したときに、カップルとしての役割は終わってしまう。その結果、2人の関係性は終わった。世界からすればどうでもいい話かもしれなけれど、いち個人からすれば、とてもショックの大きい出来事だった。

終わった関係性を修復するのは、あまりにも難しい。映画やドラマも続編は大抵がつまらないし、もし続編を作るのであれば、前編を超える覚悟で作らなくてはならない。だから、大抵の作品の続編が失敗に終わる。後悔と自責の念に駆られ、ありえないもしもをなんども願ってしまう。そして、バッドエンドで、終わったものの続編を成功させるのはさらに難しい。

復縁は関係を修復するだけではなく、お互いの関係を見直した上で、お互いを認め合わなくてはならない。世の中の復縁のほとんどが失敗に終わるのは、物語の続編を生きようとしているためだ。お互いの悪いところを認め合い、その上で復縁をしなければ、関係性は悪化して終了してしまう。

とはいえ、ぼくたちの関係は続編を作らない。いや、作らないのではなく、もう作れなくなったと言ったほうが正しいか。ぼくは彼女の引き立て役に過ぎなかった。あすかはもうぼくとの関係を、綺麗さっぱり清算し、別の人の彼女になってしまっている。

新しい恋人からあすかを奪い返す。そんなドラマみたいな話が実現できれば、どれだけ幸せなんだろうか。でも、どこまでも現実主義なぼくには、そんな勇気はさらさらない。あすかと新しい恋人の幸せを壊したくない。いや、彼女の現在を見たくないだけだ。彼女にはもう2度と関わらないほうが、彼女は幸せになれる。

お互いの人生に、もう2度と関わらない。それがお互いのためだ。なんて思ってもいないじぶんの思いを、懸命に抑えこんでいる。弱いのだ。あすかを幸せにする役目が、ぼくじゃなかった事実がただただ情けない。そして、彼女をずっと引きずり続けているじぶんが、ぼくは大嫌いだ。

彼女の作品に、ぼくがもし出演するならば、主役はぼくではない。彼女の過去のヒストリーとして、1分ほど出てくる元彼の1人にしか過ぎない。エンドロールには、おまけ程度の役名でしか載らないだろう。

今度また会えるなら、彼女がずっと眺めていたあの銀の指輪とプロポーズの言葉を彼女に贈りたい。とはいえ、彼女はもうすでに別の恋人ができたみたいだから、ぼくのこの野望は、実行されないまま終わってしまうのがオチだ。

でたらめな言葉を使って、あすかを傷つけたくなかった。そして、上手な言葉を使うよりも、じぶんの思いの丈を、ただ率直にぶつければよかった。もしもありのままの言葉を彼女にぶつけていれば、ぼくの横にはいまも彼女がいたのかな。

さようなら、両思い。そして、この片方の思いがいつか成仏しますように。

君がほしがっていた指輪とプロポーズの言葉を、ぼくは明日新しい恋人に贈るよ。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

525,778件

ありがとうございます٩( 'ω' )و活動資金に充てさせて頂きます!あなたに良いことがありますように!