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マカロニえんぴつ“恋人ごっこ”|もう一度やり直したいと願ったあの日々へ

終わった恋をもう一度だけやり直したい。そう願った経験は誰もがお持ちなんだろう。失恋したときは後悔に苛まれるくせに、終わってしまうまでその過ちに気付かない。それでもやっぱり人は何度も恋に落ちる。性懲りもなく何度でもまた恋に落ちていくのだ。

2020年2月7日にDigital Singleとしてリリースされた“恋人ごっこ”。2ndフルアルバム“hope”に収録され、MVの再生回数は2000万回を超えた。“ブルーベリー・ナイツ”も少し話題になったけれど、マカロニえんぴつの快進撃を担った楽曲はやはり“恋人ごっこ”である。

“恋人ごっこ”を悪く言えば「わがまま」。よく言えば「気まま」。恋に破れた人間がいつまでもズルズル引きずっている情けない思いを綴った歌だ。とはいえ、簡単に立ち直れないのが失恋で、引きずってしまうのはそこに愛があった証でもある。

恋なんて始まるべくして始まって、終わるべくして終わってしまうものだ。別れの原因に気づかない限りはまた同じ過ちを繰り返すだけなのに、人間は恋に落ちるとまた同じ過ちを繰り返す。学びがないと言えば学びがない。それでも恋を長続きさせるために努力をしたのは事実だ。

「恋は盲目」と言えばその一言で簡単に片付く。でもそれだけではない何かが恋にはあるのだ。恋に落ちた瞬間に何もかもが手につかなくなる場合もあるし、それがすべてだと錯覚してしまう場合だってある。いつだって恋は盲目だ。それは自制ができるものでもあるけれど、そんなものはただの言葉でしかない。恋に落ちた瞬間に、心と体が一致しなくなる現象を人は「恋の魔法」と呼ぶ。

それに恋に盲目になるのは、その人を本気で愛している証だ。愛が偽物だったら盲目になんてならない。適当にあしらって、適当なタイミングで捨ててしまう。それができない理由は本気で愛しているからである。恋は実らせるのも、続かせるのもいつだって難しい。相手に好かれるために目一杯努力して、些細なことで一喜一憂する。うまくいったと思った瞬間に嫌われて、恋をしていた事実すらもなかったことになってしまう。

「ねえ、もう一度だけ」
を何回もやろう、そういう運命をしよう
愛を伝えそびれた
でもたしかに恋をしていた
恋をしていた

もしかするとすべての終わってしまった恋は、“恋人ごっこ”だったのかもしれない。もう一度だけやり直したいって気持ちは本物だけれど、もう一度だけやり直せたとしても、きっとまたうまくいかずに同じ過ちを繰り返すのがオチだ。

相手の大切さは失ってから知る。

そう知りながらも失ってからでなければ、相手の大切さに気づけない。これは「恋の魔法」が原因なのだ。熱すぎる愛情は冷静な判断ができなくなって、愛される側も愛す側もどんどん沼に嵌っていく。そして、適切なバランスを取れなくなった途端に、自分の感情を優先し、相手を傷つける。その繰り返しを人は「すれ違い」と呼び、終わってしまった恋を「仲違い」と呼ぶ。

忘れていいのは君なのに
忘れたいのは僕だけか

振られた恋はすぐに忘れたい。そして、振った側は忘れてもいい恋だと思っている。それもまた事実だ。思いが残ったまま終わった恋。思いがなくなったから終わった恋。この差異が失恋をさらに引き摺らせる。思いをなくしたいからこそもがく。思いをなくしたいからこそ思い出にしようと試みる。そのどれもが悪手になって、自分の胸をどんどん締め付ける。場合によっては、ぽっかり空いた大きな穴を別の人で埋めようとしては、埋まらない現実に虚無を感じる。

とはいえ、恋なんていわば始まった瞬間から過ちなのだ。その過ちをお互いに楽しめるか。そして、お互いに許せるかどうかが長続きの肝となる。過ちを過ちのままにしておくか。それとも過ちを幸せにできるかは2人次第。もともとそこにあった過ちと呼ばれる不幸をそのままにした結果が失恋なのだ。

本物の恋人になりたくてなれなくて“恋人ごっこ”。時間をかけて少しずつ本当の意味での恋人になれなかった事実を受け入れて引き剥がして別の恋で上書き保存。

始めたのは2人で、終わらせたのはどちらかの身勝手で。好きになる方法は教えてくれたのに、忘れ方は教えてくれない。想い合った事実は本物なのに、恋が終わった瞬間にそれすらも嘘になってしまう。結ばれた恋。結ばれなかった恋。その両方が自分を成長させるものであり、何も変えられなかった事実でもある。また新しい恋に出会える日が来ればいい。そして、その恋が結ばれたその瞬間に、たったいま、さよなら。

ただいま さよなら
たったいま さよなら


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