自分だけのハッピーエンドを追いかけていきたい
「社会を変えたい」みたいな大きな野望を聞くたびに、素直にすごいなと思ってしまう。誤解しないでほしいんだけど、バカにする気なんて微塵もない。
学生時代は「教育を変えたい」と思って、教員免許を取ったんだけど、自分の無力さを知って、教員になることを諦めた。社会を変えるためには大きな野望だけでなく、誰もが納得する実績と信頼が必要となる。何も持たない自分には正直荷が重過ぎて、そこから逃げ出してしまった。そのときの経験から「社会のためにこれをしたい」みたいな大きな野望を持つほど出来た人間ではないと思うようになった。
そして、いまは自分や身の回りの人のことを考えるだけで手一杯だ。なんて小さな器量なんだろうか。自分の器量があまりにも小さいから大きな野望を持っている人を見るたびに、自分の小ささが目に見える。
僕の周りには大きな野望を抱えた同世代がたくさんいる。彼らは皆、手を伸ばせばそこに近づくと思ってたんだけど、手を伸ばせば伸ばすほどその遠さに気づく月みたいな存在だった。みんなそれぞれ違う分野で結果を出していて、本当にすごいし、かっこいい。彼ら一人ひとりに「どうやってそのモチベーションを保っているんですか?」と聞いて回りたいぐらいだし、あわよくば自分の小さい器量についてのアドバイスをもらいたい。
そして、SNSの普及によって、自分より年下の人でも大きな野望を持っている人をたくさん見かけるようになった。なにかをすることに年齢なんて関係ない。それは周知の事実だ。でも、自分より年下の人が大きな野望を語る姿を見るたびに、「おいおい、俺があんたの年齢のときは、遊びたいとしか思っていなかったぞ。どんだけ出来た人間なんだよ」とついツッコミを入れたくなる。
数年前は教育を変えたいと息巻いていた。僕もきっと彼ら側の人間だったんだと思う。でも、実際に社会に出てみて、自分や身の回りの人のことを考えるだけで手一杯だと気づいた。それなら僕はまず自分のことをなんとかしようと、ブログを書き始めた。
ブログを書き始めてから世界は一変した。会社員をやりながら空き時間で文章を書くことは想像以上に辛かったけれど、自分の文章を楽しんでくれる人が少しずつ増えることは本当に嬉しかった。
ブログ内で自分の好きな人を紹介して、喜んでもらえたり、人生相談に乗る機会が増えたり、身近な人に喜んでもらえる機会が増えた。インスタで恋愛アカウントを作ったときは、毎日のように恋愛相談に乗っていた。実際に交際まで進んだ人もいて、それが自分のことのように嬉しかったこともいまではいい思い出になっている。
黒門市場でお店をやったときも、いろんな人が遊びにきてくれた。イベントを開催してくれたり、友人が別の友人と遊びにくることもあった。たくさんの人の笑顔が見られる場所を作るのは楽しい。こんな自分でも誰かの役に立てるんだと思えたし、身近な人を幸せにすることが自分の喜びなのかもしれないと気づいた。
この一連の出来事は、ほんの小さなきっかけが作り出した奇跡である。でも、その奇跡を現実に変えたのは紛れもなく自分自身だ。自分だけでなく、身の回りの人のために何ができるかを考える。大きな野望を持っている人からすれば、ちっぽけかもしれない。でも、自分の中ではとても大きなことで、身の回りの人のために何かを考えて行動に移せるいまの環境は幸せな環境だと思っている。
先日オーストラリアのワーホリから帰ってきた高校時代からの友人と会った。友人は「世間一般の幸せのレールに乗るのではなく、自分だけの幸せを追いかけていきたい」と言っていた。ああ、なんか眩しいと思ったし、自分だけの幸せは自分にしか追い求めることはできないよなとも思った。だから僕も友人のように自分だけの幸せを追いかけていきたい。
いまはどう足掻いても社会を変えたいみたいな大きな野望は持てない。だからこそ、大きな野望を持っている人をすごいと思うし、応援したいと思う。大きな野望なんてないけれど、身の回りの人の役に立ちたい。
もうそれでいいんじゃないかと最近は思っている。いつか大きな野望を持ちたいと思える日がやってくるかもしれない。そのときはそのときでまた声を上げればいい。いまは半径5m圏内にいる人自分と身の回りの人を笑顔のために生きていたい。そして、最終的に自分だけのハッピーエンドを手に入れたい。
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