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誰にも期待しない人生はつまらない

病院の一室で文章を書く。その生活が当たり前になりつつあるこの頃。明日目が覚めたら「全部夢でした」と誰かがドッキリの種明かしをしてくれるるんじゃないかって思いながら毎晩眠りについているが、今日もその期待は現実にならなかった。

行動範囲は病院内もしくは病院の下にある公園だけ。限られた行動範囲の中で、どうやって楽しく生きられるかをずっと考えている。うまくいく日もあれば、うまくいかない日もあって、それが人生の醍醐味かもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

面会はコロナのためNG。時代が悪いと割り切るしかない。とはいえ、忙しいプライベートの時間を削ってまで自分に会いに来てくれる人などいるのだろうか。

病院の中ははっきり言って暇そのものだ。会話をする人もいない。目以外は健康体だから看護師さんは重症の方に時間をかける。それが仕事だからしょうがない。なんて自分に強く言い聞かせながら今日もずっと仕事ばかりしていた。仕事をしているときだけは、虚無を忘れられるような気がする。それは誰かに救いを求めている証拠なのかもしれないとあえて気づかない振りをしてみせた。

「いつでも頼ってね」の適切な頼りかたがわからない。それは人によって「いつでも」の基準が違うためだ。もしも「今日電話する?」とか具体的な提案があれば、簡単に頼れるのだけれど、自分からは気軽に頼ることができないのだ。頼ろうとしたときに拒絶されるのが怖い。傷つくぐらいならば、最初から頼らないほうがいい。とか言っているくせに本当は誰よりも人に頼りたいと思っている。素直になれないそんな自分が情けない。

期待しない人生はつまらないし、そんな人生は歩みたくない、なんて思っているだけで、実践ができない僕はただの弱い人間なんだろう。

ダメだと思えば軽率にすべてがダメになる。生活も仕事も恋愛もなにもかも。だから、「まだまだいけるぞ」と自分に発破をかけては、「もうダメかもしれない」という心の声を遮って、今日をなんとか乗り切っている。でも、今日は心がもたないと思ってしまう出来事が起きてしまった。

それはずっと疎遠だった友人から「入院しているの?」と連絡が来たことだ。特に心配する様子もなく、ずっと病状ばかり聞いてくるから心にきた。あまりにもつまらないやりとりにうんざりしていたら、満足したのかスタンプで会話を強制的に終了されてしまった。

「一体なにがしたかったんだろうか」とうっかり考えてしまった。普段なら気にならないことが気になる。これは心が消耗している証拠だ。人の心は簡単に荒んでいく。相手の何気ない発言、SNSの楽しそうな投稿、それらすべてを見たくないからいまは懸命に遮断している。

でも、ダメだ。相手のテキストの温度感を見れば、相手の心配度合いは簡単に把握できる。「きっと知りたかったのは病状だけで、心配をしているわけではないんだろう」と瞬時に相手の心情を察知できてしまう自分が憎くてたまらなかった。

ネガティブになろうと思えば、いくらでもネガティブになれる。ポジティブになろうが、ネガティブになろうが時間は同じように過ぎ去っていく。こうして思いの丈を文章にしているだけで心が軽くなるような、気がする。気がするだけで本当はどうだとかはいまは考えないようにしよう。

人との距離のはかりかたを知りたい。適切な距離感を持って相手と接する。それは相手だけじゃなく。自分の心を守るための有効策だ。そして、あわよくば、人への適切な頼りかたを知りたい。

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