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きっと誰もが誰かの創作の中を生きている

ふとした瞬間に、この人生は誰かが書いた筋書きをなぞっているだけなんじゃないかと思ってしまう。

例えば今日看護師さんと話したことも、いま入院している事実もすべて誰かの創作の中を生きているのかもしれない。あなたの悲しみも苦しみも誰かの創作によって描かれたもの。嬉しい時間や悲しい時間も、全部誰かの筋書きをなぞっているだけ。そう考えた途端に、ある種の希望と絶望が胸を締めつけた。

どんな人生を描こうが、元から歩むべき道筋は決まっていて、最終的なゴールが幸か不幸かすらも最初から全部決まっている。誰かの創作の中を生きているから、誰かに抱く感情や自分に対する感情も全部が紛い物。紛い物といえば、聞こえが良くないかもしれないけれど、紛い物だからこそ、それを本物にする努力ができるとも捉えられる。

もしも誰かの創作の中を生きているのならば、僕はなぜ創作の中で、創作をしているのだろうか。創作の中で創作をする。noteで言えば、恋愛小説がそれに該当する。創作をする理由など考えたことはなかった。作りたいから作っている。それ以上でも以下でもない。本当にやりたいことには、体が勝手に反応してしまうのだろう。きっとそうに違いない。

僕が創作を始めてから早いもので、もう1年の時が経つ。これが不思議なもので、創作の意欲はなくなるどころか増えていく一方だ。誰かの創作の中に生きているのに、創作を作ったりしているなんて、どう気持ちの整理をつけていいのかがうまくわからない。でも、わからないからこそ作り続けているってこともまた事実だ。

創作を続けている理由は、創作の中に自身の祈りを込めているのかもしれないし、決められた運命を捻じ曲げたいのかもしれない。人生には幸も不幸もある。幸せばかりじゃ目の前の幸せを掬い取れなくなるし、不幸ばかりじゃ人生はあまりにも退屈だ。創作のほとんどがハッピーエンドで人生は終わるけれど、創作の後も人生は続く。

ハッピーエンドの先のバッドエンド。そして、またハッピーエンドを追い求めて、誰もが人生を生きていく。その繰り返しの中で、酸いも甘いも嚙み分けて、少しずつ深みのある人間になるのだろう。でも、それがすべて誰かの創作の中を生きているとしたらなんて考えるのは野暮だからなしにしよう。

それに僕が作った創作を、誰かが生きているのかもしれないし、生きていないかもしれない。僕が作った創作が現実になったら少し複雑な気持ちになるけれど、それはそれでまた面白い。

創作に次ぐ創作。そのまるで宇宙みたいに無限に広がりを見せる循環を人は人生と呼ぶのかもしれない。

誰もが誰かの創作の中を生きている。それを信じるか信じないかはあなた次第。そして、その運命に抗うかも自分次第。ただひとつ言えることは、たとえ誰かの創作の中を生きていようが、自分が幸せだと思えるんだったらそれでいいんだと思う。


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