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世界から言葉がひとつ消えたなら

「この世界から言葉をひとつ消す権利があったらどの言葉を消したいですか?」

言葉はときに人を癒し、言葉はときに人を殺す。いい言葉もあれば、悪い言葉もある。とはいえ、いい言葉もタイミングが悪ければ、悪手につながる場合もあるから、相手の心情をよく見極めた上で、言葉を投げかける必要がある。

もし、どの言葉を消したいか尋ねられた場合、僕は迷わずに「永遠」という言葉を消すだろう。「永遠」は、いいように使われる場合もある。でも、悪い場合に、使われた場合の影響力は凄まじい。そして、自分程度では「永遠」という言葉の凄まじさは、とうてい言語化できないのが悔しいところだ。

良い悪いに関わらず、どんな思い出も永遠に残る。いい思い出が永遠に残るのは百歩譲って許せる。好きな人とおつきあいできた。美味しいご飯を友人と一緒に食べた。友人の結婚式に参列した。姉に子どもができたなど、いい思い出はいつでも思い出せるようにしていたい。

でも、嫌な思い出が永遠に残るのは嫌だ。嫌な思い出はすぐさま消したいし、できるのであれば、なかったことにしたい。現実は残酷なもので、どんな出来事も永遠になかったことにはできない。嫌な思い出は頭の奥隅に媚びりついたように残り続けるし、ふとしたときに思い出して嫌な気持ちになってしまう。だから、「永遠」に残るという事実を僕は消し去りたい。良い思い出も悪い思い出も、平等にこの世界に永遠に残り続ける。たとえ誰かの記憶から抜け落ちたとしても、例外なく永遠に残り続けるのだ。

誰かと愛し合った過去、誰かに投げつけた嫌な言葉、誰かにしでかした罪深き行為は決して消えない。誰もがあらゆる罪を抱え、犯した罪を償うために生きている。永遠には、善悪の判断基準はないのかもしれない。でも、人の心には善悪の判断基準がある。

正直、永遠の功罪には、いつも手を焼いている。功の部分だけ残り続ければいいのに、罪も残り続けてしまうのが厄介なところだ。そして、贖罪という言葉もあるが、人は死をもっても、永遠にその功罪を、完全に消すことはできない。どんな出来事も、未来永劫残り続ける。そして、功罪の連続が今を作り続けている。そんな虚しい現実を消し去りたいがために、僕は「永遠」という言葉をこの世界から消し去りたい。

「さて、あなたにこの世界から言葉をひとつ消す権利があったらどの言葉を消しますか?」

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