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入院前夜

どうやら明日から手術のために、入院するみたいだ。「みたい」と表現しているのは、入院にまったく実感が湧かないためである。明日も通常通りカフェでPCを開いて、仕事でもしていそうな感じがするし、入院している自分の姿がまだ想像できないことも事実だ。

ちなみに、入院は0〜1歳のときの小児喘息以来だ。もちろんあまりに小さすぎて、入院したときの記憶はないに等しい。だから、初めての入院みたいなものだ。「初」が付くものは大抵、ワクワクが多いんだけれど、今回に関しては心ここに在らずって感じ。今より良くなるための手術ってことは重々理解しているんだけれど、体がそれについてこない。

ベーチェット病に罹っているのも、「なんで自分が?」となる日もある。「どこで道を間違えたんんだろう?」と何回も考えたけれど、答えは出ない。いつも脳内をよぎるのは「後悔」の2文字だけ。間違えたわけではないと思う。結果的に病気が自分を選んだにすぎない。原因には必ず結果があるものだ。でも、病気の原因はいまだに、科学的にも解明されていないのが悔しい事実だ。

今回の手術の経緯は、目の注射の副作用で、白内障と眼圧が高くなりすぎたことが原因だ。「注射を打たなければ良かった」って後悔もある。でも、注射を打たなければ、容体はもっと悪化していただろうし、もう分かんないよって感じ。とにかく早く、もうできるだけ早く治ってほしい。願いはただそれだけ。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」なんてお話だけれど、今回の人生の試練はどれも難易度が高すぎる。おかげさまで「悟りを開いている」「それ本当に20代までにしてきた経験?」とか言われることもあるんだけど、そんなことを言われるよりも、もっと平凡な試練で良かったよ、本当に。

普通に平凡な暮らしをして、家を構えて、世の中の喧騒なんて気にせず、のらりくらりと生活をする。その程度の幸せでいいのに、そいつがやけに遠いんだ。でも、幸せな未来を掴んでいる自分はちゃんといるから大丈夫だ。そこに関しては、何の心配もない。

入院が近づくたびに、不安は倍増するし、1人の夜はいつだって寂しいものだ。こんなときに誰かそばにいてくれたらなと思いはするものの、それではこちらの身勝手がすぎる。そんな関係はフェアーな関係性ではないため、そういう妄想は考えないでおこう。でも、入院したときは、暇を持て余していると思うので、電話を掛けてきてくれたら嬉しいなんてことを考えている。

入院が決まってしまったものは、もう仕方ない。だから、入院前の生活を謳歌しようと思った矢先に、お腹を下して、38℃台後半の熱を3日間も出し続けた。入院前になんて仕打ちなんだと思ったし、もっとシャバの空気を味わいたかったってのが本音だ。

薬を飲んでも下がらない熱。これはまずいと思って、28℃の暖房をつけ、とにかく汗をかくことに徹した。そしたらなんと3日後にはある程度回復して、自力で生活ができるように回復していた。

入院前PCR検査の当日に、「これもしかしたら手術を受けられなくなるんじゃないか?」と思って、入院先に電話を掛けると、「とりあえず来てください」と言われ、重い体を無理矢理引きずって、PCR検査を受けた。夜になっても連絡が何もないため、結果は陰性だったのだろう。

そう、明日から入院生活がはじまるのだ。

正直手術は不安でいっぱいだ。術後は目が見えなくなるため、1人での生活が困難となるだろう。でも、手術をきっと乗り越えた先に、たくさんの楽しみが僕を待っている。

退院後にやりたいことがたくさんある。友達と遊びたいし、香川に行く予定だってある。なんなら恋人探しもしちゃうかも。友達のお母さんのカフェが7周年を迎えたからお祝いしに行かなきゃだし、仕事もたくさんやりたい。まだまだやりたいことがたくさんあるから、絶対に病気なんかに負けてはならない。

絶対に手術を乗り越えられるはずだ。以前は泣いてばかりいたけれど、病気との付き合い方が上手くなってきたから、今はもう涙をほとんど流さなくなった。ちゃんと成長もしている。だから、大丈夫。自分を信じて、少しでも前へ。前へ。

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