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愛にできることはちゃんとあったんだ

先日、7年前に亡くなった母の誕生日を迎えた。生きていれば57歳。でも、もうこの世にいないから、顔を見てお祝いできない。墓前の前に買ったケーキとミルクティを置いて、手を合わせながら「誕生日おめでとう」とつぶやいた。

先日、辻村深月さんの「ツナグ」を読んだ。死んだ人と再会できる物語である。もし死んだ人に会えるなら僕は母を選ぶ。どんなことをするかはわからない。でも多分生前のように、ありきたりな話をして、ありきたりな時間を過ごすんだろう。

でも、母がいまの僕を見たら、きっと喜び半分、悲しみ半分なんだと思う。昔、母に「子どもの親孝行は、やりたいことをやって生きること」と教えられた。その教えに則って、いまは好きな文章を仕事にしている。楽しいだけではないけれど、楽しく生きていられるのは、やはり好きな文章を仕事にできているからなんだろう。

悲しみ半分の理由は、実の子どもが「ベーチェット病」と呼ばれる難病に罹ってしまったことだ。我が子に難病に罹ってほしいと、親が思うことはないだろう。左目があまり見えなくなり、右目も白内障になった。そんな姿を見て、きっとやさしい母は悲しむはずだ。


母は姉が癌になったときに、自分が癌で苦しんでいるにも関わらず、代わってあげたいと言っていた。どれだけお人好しなんだよと思っていたけれど、母は子の苦しむ姿を見たくないんだろう。いまのところ母の気持ちはわからないけれど、自分に子どもができたときに、母の気持ちが理解できるのかもしれない。

とはいえ、母が苦しむ姿なんて見たくない。だから、僕はあまりお見舞いに行かなかった。母が亡くなったあとに、もっとお見舞いに行けば良かったと後悔しているし、この気持ちは死ぬまで消えてなくならない。でも難病になっても、いま幸せに生きているから、あまり心配しないでほしいと思う。

母の生前を振り返ると、いい思い出と悪い思い出が、両方蘇ってくる。いい思い出は綺麗なまま保存されているのに、悪い思い出は以前よりも悪くないと思えた。

僕が大学生になったときに、母は癌になった。1つ上の姉に2人目のこどもが生まれ、生活は散々で、生活費は自分持ち。奨学金は治療費と家族の生活費に充てられた。自分の学費と生活費は自分で稼ぐ。まるで世界で一番不幸みたいな顔をしながら、毎日働き続けた。

大学2年の夏休みに、工事現場で働いたんだけれど、初日に鉄筋に指を挟み、骨折した。病院に行くお金もなければ、生活費もない。それに母の治療費を稼ぐ必要もある。だから、病院に行かずに、ずっと働き続けた。いまも指は曲がったままだけれど、家族を守れたんだからもうそれでいいと思っている。

1日3時間睡眠。朝の5時に起きて、工事現場の仕事をして、夜は飲食店のアルバイトに勤しむ。寝るのは夜中の2時。1ヶ月だけの辛抱だから頑張ろうみたいな謎のポジティブでなんとか乗り切った。人は守るものがあれば強くなれる。この言葉は真実だ。ただ一歩使い道を間違えれば、自分の体を殺す羽目にもなるのだ

「大学をやめれば良かったんじゃないか」と言われたことがある。確かにそれは事実だ。大学を辞めて就職していれば、もっとましな生活をしていたんだろう。でも、大学に行くのは両親の願いだった。両親の期待に応えることしか頭になかったのも事実である。

それに加え、大学生の視野なんて狭いものだ。社会人になってから、学歴は新卒入社するまで、という事実を知った。残りの人生は運と実力の世界である。もちろん学歴が左右する企業もあるんだろうけれど、少なくとも僕の人生では学歴はいまのところなんの役にも立っていない。

問題をたくさん起こす姉に比べると、僕は手の掛からない子だったんだろう。兄弟は大抵、上を見て育つ。上の失敗を見て、それを回避するために、うまく立ち回る。子どもなりに、必死に学んだ末の気遣い。姉にばかり時間をかける両親を見て、迷惑を掛けないようにずっと気を使っていた。

ある日、「もっと自分の感情に素直になっていいのよ」と母に言われた覚えがある。そのときも強がって、「ありがとう、俺は大丈夫だよ」と返した。病気に苦しむ母に迷惑を掛けるわけにはいかない。だから、いつも感情を吐露するのは、1人で行った夜の河川敷だった。

問題がないところではなく、問題が起きているところに時間を割くのは当たり前の話。愛がなかったわけではない。けれど、僕はずっと愛されたかったんだと思う。もっとこっちを見てよ、と言いたかった。でも、母の大変な姿を見ていると、気が引けてしまって、ずっと言えなかった。

母が亡くなって7年が経ってから、ようやく愛されていた事実を知った。母から教えてもらったことはいまでも役に立っている。人にやさしくすること。嘘をつかないこと。生きていればいいことがあること。そのほかにもたくさんあるけれど、母の教えのおかげで、僕の周りにはたくさんの人がいる。

自分の中で時間を掛けて、悪い思い出を消化できたんだろうか。もしそうだったら嬉しい。悪い思い出なんて1つも必要ないと思うけれど、いい思い出だけじゃ、いい思い出をいいと思えないんだろう。酸いも甘いもきちんと味わって、人間としての深みを持たせる。これが人生を楽しむ秘訣であり、後悔を納得に変えるための有効な手段でもある。

学生時代に蓋をした思い。その思いを払拭するために、今はやりたいことをやって生きている。後悔なんてないとは絶対に言えないけれど、後悔はあとで取り返すことができると知れたのは、きっと学生時代に自分の思いに蓋をした経験があったからなんだろう。

理解も納得もしなくていいし、それをわざわざ言葉にする必要なんてない。生きるために行動した。そこには十分な価値がある。だから、理想と現実を行ったり来たりして、今後も揺らぎながら生きていく。

生きる。

それは命を繋ぐことである。僕は母が生きたくても、生きられなかった時間を生きていく。そして、どんな道を歩もうと、「生きる道を選ぶ」だけは変わらない。酸いも甘いもきちんと味わえるそんな人間でいよう。そして、これからも変わらず、母の誕生日に墓前で「産んでくれてありがとう」と言える人生にしたい。

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