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不器用であるが故に

「緊張してしまうが故に、自分の気持ちをうまく伝えられない」

こんなことを思うことはないだろうか?

これは僕の長年の悩みでもある。

何を隠そう僕はかなりの不器用だ。自分の気持ちをうまく伝えられずに悶々をしてしまうことが多い。

言いたいことの半分も伝えることができないし、緊張で言葉が出てこない時だってある。

かなりの口下手だから説明も下手で、簡単に伝わることもうまく伝えることができない。

自分の気持ちも伝えるのに、時間が掛かってしまうし、スマートに決めなきゃいけない時に限ってヘマをしてしまうから嫌になるよ。

しかも口先だけではなく、手先も不器用だからもう参ってしまう。

絵も描けないし、楽器も演奏できない。さらには音感もないから、音痴だし、表現活動に関することに滅法弱い。

だからついつい僕は文章に頼ってしまう。

文章は楽だ。文章だと言いたいことも簡単に言えてしまう。

自分の感情を文章として書くことで、自分の気持ちを整理することだってできる。

そして、文章を書くことはストレス解消にもなるから、文章は僕の最高の相棒だと思っている。

文章だと自分の気持ちをまとめるのも簡単だし、まとめたものを相手に送るだけで、自分の気持ちが相手に伝わるからこれほど楽なものはない。

ただ難点な部分もある。言いたいことが間違って伝わってしまったときだ。

解釈は人によって違うから受け取り方が誤ってしまうこともある。

そのときは口頭ベースに切り替えてしまう。

口頭ベースの方が誤解を解きやすい。誤解を招いたときは、文章と話すことはセットでやってしまいたいんだよ。

そうすることで誤解を招くリスクを回避しやすくなる。

僕は誰よりも人と衝突することが怖いから、なるべく誤解を招かないような表現を心掛けている。

でもたまに間違えてしまうときもあるから、そのときはきちんと「ごめんなさい」をすることで、関係性を壊さないようにしているんだよ。

不器用であるが故に、僕は文章に頼ってしまっている。

そしてこれからも文章に頼ってしまうことが目に見えている。

僕には切っても切っても切り離せないのが文章。ありがたいなと思いながらもどこかで恩返しをしたいなとも思っている。

できないことに目を向けることも大事だけど、でもそれが自分を追い詰める行為なら今すぐにでもやめた方がいい

できないことよりもできることをどんどん伸ばしていくでいいと思うんだよ。

不器用であるが故に、わざわざ悲観的にならなくてもいい。

不器用であるが故に、できることがきっとあるし、なんにもできないなんてことは絶対にない。

それが何かなんてわからないし、自分で探しに行くしか見つける方法はないから、誰かに甘えるのはなんか違う。

常に模索を繰り返し、試してみて「あれ?これやっぱり違うな」と思ったらやめての繰り返し。

僕自身も何が自分にとってプラスになるかを今後も模索していく。

もしかしたら文章以外にも何か見つかるかもしれない。だから模索はやめたくない。

でも今できることは文章を書くことしかないから、今後も文章を書き続けていく。

できることを目一杯やることで、たまに限界を超えることで、少しでもいいから前に進んでいこう。

不器用であることを受け入れること。

それが僕の最初の1歩なのかもね。

なーんてね。おしまい。

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