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noteがきっかけで読んだ作品⑦    偏愛おすすめnote記事集③

※前書き部分は、前回の記事と同じものになります。

 いつもお世話になっております。書店員のサトウ・レンです。たまに一記事一作品で「noteがきっかけで読んだ作品」という記事を書いているのですが、いつの間にかオススメしたい記事がかなり多くなってしまいました。好きな想いは今まで一記事一作品で書いていたものと変わらないのですが、何個も連続して投稿しても困惑されるだけかな、と思い、数個の記事をまとめて紹介することにしました。一記事に費やす分量はすこし多めなので、すこし長めの記事になります。お前の長い文章はつらい……、という方は、私の駄文を無視して、本記事に飛んでください! 

 知り合った(読んでもらったことが)きっかけで読むことはあっても、私はお礼のためにレビューを書くということはしないようにしてます。何故なら紹介したい素晴らしい作品が「お礼という要素がなければ、評価に値しない作品なのか」と欠片でも思われたくないからです。だから、ここで紹介する作品は自信を持って、オススメと言えるものです。ぜひ、未読の方は、ご一読をお願いします!

※毎回書いていますが、シェア・転載禁止や批評禁止の場合は投稿後でもすぐに対応しますのでお伝えいただければ幸いです。そして勝手にやっていることなので、プレッシャーを感じて無理してスキや感謝の言葉を書いたり、無理して私の記事を読んだりとかはしないでくださいね(この言葉は裏読みせず、言葉通り受け取って欲しいです(*- -)(*_ _)ペコリ)。

 私の言葉で、作品が色褪せないことを、ただ願う……。


「お前は飛行機に乗って怖くないのか?」ジョン久作さん

 基本的にはすべての作品、ネタバレに対してできるかぎり配慮していますが、それでもできれば事前に情報を入れずに読んでもらいたい作品というのは多く、その中でも本作は特に事前情報を遮断して読んで欲しい作品です。なので記事を貼り付ける前に、敢えてこんな文章を書きましたので、記事より下の文章は読まずに、まず記事を読んでから、ここにもう一度、戻ってきてください。

だがよ、俺は確率の話がしたいわけじゃないんだ。俺が飛行機の怖さについて言いたいことは常にみっつ。みっつだ。これはガキの頃から変わっちゃいねぇ。

「俺、飛行機は嫌いなんですよ。怖くって」そんなどこかで誰かが言ったのを聞いたことがありそうな何気ない一言から始まり、ひとつひとつ恐怖の理由を挙げていく語り手の〈俺〉。小説であることを知らずに読めば、エッセイと間違えてしまいそうになりかねない日常の一幕のような物語は、やがて意外な方向へと転がっていく。明かされる状況に驚きながらも、すべてを曝け出すことはなく、謎めいた余韻(私が読み違いをしていなければ)を残しながら物語の幕が閉じる。

 結末を読み終えた後、もう一度、頭から物語を読んでみてください。一人称の軽快な語り口に対する印象が、最初に読んだ時とはまったく違うことに、静かに感情が波立つと思います。


「あなたの人生の物語」奥村まほさん

私は彼女に興味があった。興味がある。好奇の目からでなく、純粋に、人間として興味がある。なにを考えているのか。なにを見て、なにを読んで、なにを思うのか。頭のなかを、心のなかを、のぞいてみたい。彼女の瞳で世界をじっと見つめてみたい。彼女の脳みそを借りて本をゆっくりと読んでみたい。思考の沼に沈んでみたい。これは昔からずっと変わらない願望だ。

 テッド・チャンの最新短篇集である『息吹』が私にとって特別な作品であるという個人的な想いも本記事を選んだ理由のひとつであることは間違いありません。ただそういった感情を差し引いても、十年近く前に読んだ(正直に言えば内容をしっかり覚えているわけではなく、理解の面でもおぼつかなかった部分は多いと思う)『あなたの人生の物語』をもう一度読みたい、と再読を促してくれるようなレビューであり、そして同時に琴線に触れるエッセイだと思いました。

 テッド・チャンの「あなたの人生の物語」について奥村さんは、

一見地味なSFなのに、ひとりの人生の物語としても、母と子の愛の物語としても、言語やコミュニケーション、人間の意志にまつわる物語としても面白く読め、さらには世界のとらえかたや人生観・死生観までもをぐらぐらと揺るがしかねない、そんな不思議な作品だ。

 と書いています。SFでしか描けない形で〈人間〉というものを探ろうとしていく作家というイメージが(私の中では殊に)強いテッド・チャン作品への真摯な評言が、文章でしか描けない形で特別な友人へ興味を向ける奥村さんの想いと共振します。

 以前レビューを書かせていただいた、秋月みのりさんの記事、

 と併せて読んでもらいたい記事です。


「綺麗な字の子、歪んだ字の子。」螺子巻ぐるりさん

 私はその時、優越感を覚えていたのです。
 クラスの中で、何となく自分より格上なのだと思っていた淀川さんが、字の上手い下手というただ一点だけを理由に、私の下についている。

「ラブレター、書いてくんね?」いつも友達に囲まれてる淀川さんと、クラスの端で大人しく生きている(という自己評価の)美山さん。それまで関係の全然なかった二人を繋いだのは、〈字〉だった。字の綺麗な美山さんは、ラブレターを書きたい淀川さんに字の指導することになるのだが、淀川さんの字が綺麗になっていくうちに複雑な心情が生まれ……、

 多くの人が一度は抱いたことがあるような心の漣をきっかけに、歪んでいく少女ふたりの関係を丁寧に描いた青春小説です。行動の是非は別にして、でもそこに宿る心情自体は(すくなくとも私には)決して他人事にできるものではなく、身近な感情を刺激するような、とても印象に残る物語でした。

 暗い感情の果てに放たれた光は美しく、実は当初露悪的(イヤミス的な物語に多いような)な物語になっていくことを想像していたのですが、そういった展開にはならず、物語のその後を思い浮かべながら微笑ましい気持ちになりました。


「多弁症物語」はつみさん

 はつみさんには、メタミステリのショートショート「シュレディンガー殺人事件」というnoteの場でしか描けない、センス抜群の素晴らしい作品がありますが、これが感想者泣かせというか長々と書きづらい作品になっていて、踏み込んで書くのも野暮なので、今回は他の素晴らしいショートショート群の中から、割と最近投稿された「多弁症物語」を。

 いつまでもしゃべり続ける〈多弁症〉の男が、その特徴を買われてレポーターとして一躍有名になるが……という作品で、身近なすこし不思議な物語は終わりに近づくにつれ壮大さを帯びていき、驚きに必然性と美しい余韻があります。男の辿ってきた人生が、有機的に結末と絡み合っていて、ショートショートらしい面白さを凝縮したような作品だと思いました。


「狂える大樹の唄」バールさん

低く、高く、弱く、細く。あまりに純真な祈りの声がひしりあがる。
発生の源は探すまでもなく。村の中央。井戸のある広場。
そこに、優美な巨樹が生えていた。
あんなものなど、あっただろうか。
私の体を貫くこれは、あの樹の根なのか。

 ここ最近読んだ中でもっとも強く印象に残ったnote内の小説は森とーまさんの『ゾンビつかいの弟子』とバールさんの『絶罪殺機アンタゴニアス』の二作品なのですが、罪がエネルギーに変換される社会を舞台にしたSF長編『絶罪殺機アンタゴニアス』はまだ連載途中の上に、私が連載の最新話にさえたどり着いていないため、今回は掌編小説の「狂える大樹の唄」を挙げることにしました。

 久方ぶりに故郷の集落を訪れた〈私〉を待ち受けていたのは、廃墟と化した風景。生きながらも、地面から伸びる木の根のようなものと繋がり、同化した村人たち。村の奥で、〈私〉は唯一朽ちた女性を見つける。

 安寧した幸福に強烈な「No!」を叩きつけるように、歪さの中でしか宿らない美しさがどこまでも魅力的な作品です。何よりも胸に響くのが、そのヴィジョンを表現する文章です。決して分かりやすいとは言えない世界観や情景を、豊富な語彙力と作品に適した独自性のある文章で魅力的に伝えていきます。それでも作者がイメージしたもの(頭に思い浮かべていただろうもの)を読者のイメージが超えることはないでしょう。ただ一端を垣間見ることはできる。分かりやすい理解や共感では得られない、想像を超えていく愉しみに満ちた作品です。


「17年と90分間の戦友」城戸圭一郎さん

いつしかそこに、もうひとり男性が加わっていました。おそらく40歳前後でしょうか。わたしより頭一つぶん背が高く、スラリとした印象です。そして、海を越えて日本にやってきた人のようでした。そんな彼は、一緒になって日本代表を応援していました。

 2002年W杯、当時24歳の若者が当時を述懐するエッセイの形式を採った記事ですが、あの日でしか起こりえなかった出会いを綴った良質な青春小説のように読むこともできます。ここで城戸さんが紡ぐ体験は、城戸さんにとっては何よりも特別な体験でありながら、それと同時に〈社会〉と〈個人〉という誰もが狭間で揺れることを余儀なくされる普遍的なテーマを扱ったものでもあります。だからこそ、これは他人事にしてはいけないのです。

わたしは、一人暮らしの部屋で応援する孤独に耐えられなくなってしまいました。誰かと感情を共有したかったのです。そこで友人に連絡すると、彼も同じ気持ちでした。ロシア戦は友人とパブリックビューイングに出向いて観戦することにしました。

 そんな想いを抱えた中で出会った、「イラク大使館のおっちゃん」と城戸さんの間には確かに感情の共有があり、その〈個〉の間で結ばれた美しい友情を社会が色褪せさせることがあってはいけない。そして私たちはその〈個〉をもっと強く信頼しなければならない。そんな風に思うのです。


「僕らのキセキ」逆佐亭裕らくさん

僕は昔、暴走族に属していた。

 そんな導入の本作は、巷に多く溢れる〈ヤンキー列伝〉的な物語からはそっぽ向くように独自の道を歩いていきます。

 この記事、とても好きなんです。何が好きかって内容もそうなんですが、それ以上に文章のリズムやユーモアセンス、粋な感じのする語り口が大好き。少年時代に憧れた大人って、こういう色気があったよなぁ、っていう魅力を作者に感じるのです。

 内容ももちろん素晴らしく、非ヤンキーだった少年が暴走族に属していた頃を回想していくのですが、殺伐とした雰囲気はなく、とにかくコミカル。記事の随所から楽しませたいという気持ちが強く伝わってきて、読んでいてとても嬉しくなってきます。

 でも、笑える、コミカル、というだけではなく、

 記事が進んでいく内に喚起されていく、切なさ……。

 僕らの“鬼世希”の物語は、やがて僕の“軌跡”の物語へと変わっていきます。城戸さんの「17年と90分間の戦友」と同様、もう戻れないあの日に想いを馳せる、大人になった今でしか切り取ることのできない美しい青春に浸らせてもらいました。笑えて、最後は切ない。エンターテイナーの鑑のような人が描く、エンターテイメントの鑑のような作品です。

 以上の、今回は7作品。

 そのひとの人となりではなく、あくまで作品本位を心掛けて書きましたが、うまく行っているかどうか、しっかりと作品の本質を汲み取れているどうかは分かりません。忌憚のない意見を聞かせていただければ、幸いです。急に書かれて困惑される方もいるかもしれないので、先に謝っておきます。勝手に感想を書いて、すみません……。

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