noteがきっかけで読んだ作品⑤    偏愛おすすめnote記事集①

 いつもお世話になっております。書店員のサトウ・レンです。たまに一記事一作品で「noteがきっかけで読んだ作品」という記事を書いているのですが、いつの間にかオススメしたい記事がかなり多くなってしまいました。好きな想いは今まで一記事一作品で書いていたものと変わらないのですが、何個も連続して投稿しても困惑されるだけかな、と思い、数個の記事をまとめて紹介することにしました。一記事に費やす分量はすこし多めなので、すこし長めの記事になります。お前の長い文章はつらい……、という方は、私の駄文を無視して、本記事に飛んでください! 

 知り合った(読んでもらったことが)きっかけで読むことはあっても、私はお礼のためにレビューを書くということはしないようにしてます。何故なら紹介したい素晴らしい作品が「お礼という要素がなければ、評価に値しない作品なのか」と欠片でも思われたくないからです。だから、ここで紹介する作品は自信を持って、オススメと言えるものです。ぜひ、未読の方は、ご一読をお願いします!

※毎回書いていますが、シェア・転載禁止や批評禁止の場合は投稿後でもすぐに対応しますのでお伝えいただければ幸いです。そして勝手にやっていることなので、プレッシャーを感じて無理してスキや感謝の言葉を書いたり、無理して私の記事を読んだりとかはしないでくださいね(この言葉は裏読みせず、言葉通り受け取って欲しいです(*- -)(*_ _)ペコリ)。

 私の言葉で、作品が色褪せないことを、ただ願う……。


「’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった」patoさん

 この記事との出会いは衝撃でした。もしまだ読んでいないひとがいるなら、ぜひ読んで欲しいです。1989年にテレビCMとして放送されたJR東海のクリスマスエクスプレスのCMをめぐる強い愛情と鋭い考察に裏打ちされた感動大作です。ミステリ関連の方のリツイートで、この記事の存在を知ったのですが、一篇の良質な本格ミステリを読んだ気分に(個人的には)浸れました。

 この記事を読む中で何度もこのCMを見ましたが、もう20回目からは数えるのをやめました。この動画を見るだけでも心を鷲掴みされるほど素敵で可愛い牧瀬里穂ですが、この記事を読み終えた後に見る牧瀬里穂はさらに倍くらい素敵で可愛い。この記事における〈最大の謎〉の答えが創り手の側から明らかにされることはありません。あくまで想像です。でももうこの記事を読んだ後、このCM中の〈最大の謎〉は、〈それ〉にしか思えなくなっているのです。メッセージも一貫していてぶれることはなくストレートに突き刺さり、深い余韻が残ります。

 エモいが語義通り情動を強く訴えかけられるものなら、これは私にとって最高にエモい記事です。正直このタイトルだけを見ている人は「何言ってるの?」って気になっていると思いますが、いや、これ本当にすごいんですよ!


「やりたいことをやりなさい」伊藤緑さん

やりたくないことをやっている。それはだめなことでしょうか。そうやって生きている人間だけが放っている淡い影は、踏みにじるべき対象でしょうか。唾棄すべきでしょうか。やりたいことをやるのはいいことだ、なにも我慢するな、なんて名の光だけが、ものを見せているわけじゃありません。そのきらめきが生んだ影だって、確かにものを浮かび上がらせているんです。

 伊藤さんの作品は、特に、まず読んで欲しい。それで他のひとが語る言葉が不要だと思ったら、私の駄文は無視してもらっていいです。紡がれた言葉を、言葉のままに味わってもらいたいのです。

 相手を慮った言葉はときにひとを深く傷付ける。悪意のない言葉は、悪意とともに投げ掛けられたものよりも、深く沈殿する。言葉とはそのぐらい繊細なものだ、ということが本作を読むと、強く伝わってきます。

 本作はあくまで〈掌編小説〉です。作者がどれだけこの作品に自身を投影させたのかは分かりませんが、でも実はそんなことどうでもいいのです。すくなくとも私には。なめらかな文章の美しさと鋭い棘を忍ばせた繊細な思考描写のすこしざらざらとした感触の合わさったこの小説は、とても愛おしい。伊藤緑さんの作品は文章の美しさはもちろんのこと、ものの見方に魅力を感じるものが多く、「やりたいことをやりなさい」が好きな方は、ぜひ「魂を削って」もおすすめです。


「かみぶくろの女たち」クマキヒロシさん

女性たちは、みな『かみぶくろ』を被るようになった。化粧と美人という概念を手放したのだ、彼女らは。最初の『かみぶくろ』は美容のものだったという。

「高田君、理解すべきことと、そうでないものを分けなさい。今目の前にいる、私は君が“理解すべき”ことではないし、さっき話したことも“理解すべき”ではないんだよ。」

 電子デバイスの機能を持つ『かみぶくろ』と呼ばれる紙袋ほどの袋を、多くの女性が(自らの意思で)顔に覆うようになった日本社会は、容貌ではなく能力本位で純粋に判断されるようになり、『かみぶくろ』の存在は、女性の地位向上へと繋がった。

 会計システムの営業をしている〈僕〉こと高田義孝は、様子お伺いと、クレームの対応のために訪れた西村病院で、電子デバイスとしての機能を持たない純粋なペーパーで出来た茶色いクラフト用紙の紙袋を被っていた。

 ……という導入で始まる本作は、一見理想的に見える社会への違和感を描いた作品ですが、ディストピアSF(私自身、このジャンルに関して詳しく語れるわけではないのですが……)の有名な先例(例えばジョージ・オーウェルの『一九八四年』とか)のような痛烈な社会批判・風刺的に書いた作品からはすこし逸れるような印象を受けました。

 確かにそういった側面は感じられるものの、それよりはもっと個の物語であり、どこか他人事には出来ない不条理な社会に違和感を抱きはじめる青年が自分らしさに悩む、身近な〈私たちの〉物語なのです。決して綺麗な正解に飛び付くわけではなく、だけど胸に染み入るような、最後の会話に集約されたメッセージはとても美しいと思いました。


「極彩色のこの世界で、私たちは生きるしかないんだ。」秋月みのりさん

初めて来たのに、初めて来た気がしなかった。小学生の時、休み時間になる度に直行した図書室。中学生の時に部活の友達と勉強したけれど全く捗らなかった公民館の中にある図書館の分室。思い出の場所にそっくりだったから。

 郷愁の念とともに拾い上げた想い出の一冊をめぐる、とても素敵なエッセイです。ブックレビューが記事の中心である私にとって、他の方の書くブックレビューや本に関するエッセイはつねに興味を惹くものなのですが、ここ最近特に印象に残ったのが、この記事でした。率直に言うと、この記事は私の好みです。実際のところそれで終わらせてもいいのですが、それだとあまりにも味気ないので、この記事が好みである理由について、もうすこし続けます。

 実を言うと、本記事で取り扱われている森絵都『カラフル』を私は未読でした(多分私が読んだことのある森絵都作品は『みかづき』くらい?)。ということで、決して「私も好きだ! 同志を見つけた!」というのが理由ではありません。この記事を好きな理由は、多分、みのりさんと『カラフル』の距離感なのだと思います。

 この記事はエッセイでもあり、レビューの要素も持ち合わせています。レビューも創作と同じで、基本的にはどんな書き方をしてもいいと私は考えていますが、それでも苦手なレビューというものはあります。そのひとつが作品を蔑ろにして、自分を語ることだけに終始するレビューです。あくまでレビューの主役は作品であって欲しいと私は思うのです。本記事はエッセイとしてみのりさん自身を語りながらも、レビューとして『カラフル』の魅力を丁寧に抽出しているのです。自身を作品に大きく重ね合わせながら、そのどちらもが素敵に見えるって、良いな、って思います。

さぁ、就活頑張ろう。//中学生の時に表現が新鮮でお気に入りだった本は私のお守りになった。//この極彩色の世界で、生きるためのお守りに。

 そう終えようとする書き手に頑張れ、と応援しつつ、自分も『カラフル』が読みたくなるのです。


「狂愛のカナリア」ひさとみ なつみさん

カナリアにね、僕よりもあのカラスのほうが優れていると言われたような気がして、面白くなかったんだ。あぁ、そう! ただの嫉妬さ! しょうがないだろう、僕はカナリアを愛していたんだ。誰かを愛すると、必ずそこには妬みや憎しみが絡んでくる。人間というのは不思議な生き物だね。誰かを愛しているのに、どうして反対に、誰かを憎んでしまうのだろう。

 強烈な〈純愛〉を感じました。〈純愛〉と聞くと、優しく綺麗な物語を想像されがちですが、愛という感情のみをよすがに残酷な行為に出る語り手の告白はとても怖く、ホラーやサスペンスとしても楽しめる作品になっています。

 他者を慮ることなく暴走する、ひたむきな愛。その一途な想いはどこまでも屈折しています。語り手の感情はどこまでも醜く、しかし見えている世界は(独り善がりではあるものの)どこまでも美しい。語り手が声楽科の学生であり、想いを寄せる相手でもある内田翠をカナリアという鳥に喩え続ける理由や象徴的に使われる赤など、使われる表現が美醜ないまぜになっているのが印象的でした。

 先生の心情がはっきりと分かりやすく書かれた作品ではないので、もしかしたら後半の心情の変化を唐突に思う方もいるかもしれませんが、読み返してみると、最初の一文から気を払われていたことが分かります。

君は、こんなことをした動機を知りたいと言ったね。一言で言えば、僕が芸術家だからさ。山道に咲く菫草や、頂上に白い雪の積もる富士山が美しいのは、みんなが知っていることだけどね、芸術家は当たり前に美しいものを美しいと判断してはいけないのだよ。

 ネタバレはしたくないので曖昧な書き方になってしまいますが、〈芸術家〉という言葉に皮肉めいたものを感じる、自然な心情の揺れ動きになっているように思いました。個人的な趣味にも合致したとても好きな作品です。

 以上。急に書かれて困惑される方もいるかもしれないので、先に謝っておきます。勝手に感想を書いて、すみません……。

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