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創作【掌編・ショートショート】

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こちらのマガジンには4000字以内のショートショート・掌編小説を収録しています。
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#ネムキリスペクト

それは幽かな

 初夏の午後、青年はひとりお墓の前にいました。

 菊の花を添え、水を掛け、眼をつむり、手を合わせていました。青年は携えていた鞄から一冊の本を取り出しました。本の表紙には青年の名前が書かれていました。

「完成したら、読ませてね」
 冒頭の一ページを破り、鞄に戻しました。青年はその本を墓前に置き、墓石へと向けていた靴先の方角を墓地のそばにある小学校へと変え、そして一歩、踏み出しました。

 小学校

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春に、鬼と雪は。

春に、鬼と雪は。

 

 あれは私がまだ小学校低学年のころだったでしょうか。入学式からすこし経っていて、通学路には桜並木ができていたので、春には間違いなかったはずです。すくなくとも公園のあたり一面を雪が覆うような日ではありませんでした。それでも公園に立つ私が履いていた長靴は上部くらいまで雪ですっぽりと埋まっていました。

 あの公園がどこの公園かは知りません。

 寒くは、ありませんでした。

 あの春、私はひとり

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[掌編ホラー]土の雨

[掌編ホラー]土の雨

 決行の日は、悪魔に憑かれているのだ、といつも自分に言い訳している。

「ねぇ、さっさと別れてよ。あなたのヤキモチやきのパートナーさん、と」私の隣であざけりを含んだ笑みを投げ掛けてくる裸の女とはもう何年の付き合いになるだろうか……忘れてしまった。

 小馬鹿にしたような、本心ではないだろうその言葉に私の感情が波立つ。この女は確か結婚願望がないと言っていたはずだ。言葉でもてあそんで、私を手玉に取って

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