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【ショートエッセイ+詩】世界は終わらない飴玉か棒

言葉の森に迷い込んだのは、いつからだろう。

そんなふうに感じる詩の展示を見てきました。横浜美術館で。

その展示自体のことは後日別記事にするとして、今日は冒頭のひとことについてぼんやりと考えながら詩でも書くかな。そんな気分です。

言葉の森は明るいのか、暗いのか。そこに迷い込み歩くのは楽しいのか、つまらないのか…。ここは人によって分かれるところな気がします。

この森は広い、深い森です。
面倒になるくらいに、巨大です。

ただ、僕らはその面倒さも言葉によって語らねばなりません。

そんな煩雑な世界への入口を感じた時を詩にしました。よかったら眺めていってください。


※※※

「世界は終わらない飴玉か棒」


千歳飴をなめた記憶

わすれられないな

母親の二の腕を小突いた記憶

わすれられないな

一番食べごろの

千歳飴をとられたから

確かそうだ

千歳まで生きない僕らの

千歳飴

そんなことを思いながら

千歳引九百八十三歳の僕は

雨降りのマックで

アイスカフェラテ(M)をすする

もう3時間はすすってる

視界が悪いのは曇ったガラスの

せいなんかじゃあなくて

前髪の邪魔さがすごい 邪魔

どけたそばから小指の感触が

部活で擦りむいた心をくすぐる

だけど

もう少し伸ばそうか

なんでだよ

こたえたように雨がどしゃぶる

ざっ と ざっ と

部活はサボった

仮病を

使うことなく

休みたいので休みます

なんてなんで言えないのだろ

もちろん仮病をつかった

僕はだいたい頭痛か腹痛か筋肉痛だ

そのどれでも ないのだけれど

今頃部活のみんなは

熱心であって

僕はとっても

楽天家である

不真面目ではなくて

見つめている

真面目に

暇な主婦達を

暇な主婦達が

暇な話をしているが

暇な僕を

暇そうにしちゃって

とか

揶揄しているだろうか

雨が降る

雨が降る

僕のサボりも

なかったことに

なるかな ならないな

ならなくていいな

今日はやけにリュックが軽くて

弁当箱をクラスに忘れた

のに気づくのに十分だった

ムシムシしはじめる

6月の物忘れは

犯罪級だ と

母が怒って明日はおにぎり(だけ)

になるかもしれない シャケがいいかな

随分な雨だ

絶対音感なんてもってないのに

全部おんなじ音に聴こえる

雨はおんなじ

形をしている

正確なのは自然だろうか

アイスカフェラテ(M)がなくならないや

僕は千歳生きる気がする

僕は千歳生きる気がする

次に気が付いた時

僕はまた飴をなめている

溶けてゆく千歳を横目に

白昼夢の中で口づけて

瞬間今度は

アロエにでもなりたい

雨が降る降る街の夕焼け

※※※

思春期の無時間性に気が付くのは

決まって日が傾きかけてから

むしろ

時間はそこから動き出すのかもしれない

動き出してる、音がする。


酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。