いつか君が大人になれば、わかるよ。
年を取るとどんどん時が早く過ぎるの。昔良くそんな言葉を聞いた。
満員の山手線で、30歳位ぐらいのサラリーマン二人組の会話が耳に入ってくる。「今年も新人が入ってさあ。もう一年だよあれから。」
つい先日友達と会った。
ヒッチハイクで日本一周。今思えば、おおよそ学生の思いつく最もバカげた暇つぶしのようで、実はほとんどの人間が生きていて体験することもない素晴らしい想い出でもある。(したくもない、と言った方が正しいか)
その約二か月間を一緒に過ごしたのが彼だ。
四谷のドトールは上智大学が近くにあるからか、至る所から英語が聞えてくる。
一杯だけ注文したコーヒーのSサイズをすすりながら、「日本周ったの一年半前か!」なんて、思い出話に浸った。
そこで僕らはあることに気付く。「何か遥か遠い昔のことみたいじゃね?」
めちゃめちゃあっという間だった。それがこの一年の率直な感想だ。
一年前の今日は多分配属が発表されたぐらいのタイミング。これから始まる会社生活への期待と、いくばくかの不安で、感情が大きく動いていた時だった。
そんな入社時研修の時を私は、まるで「昨日のこと」のように感じる。
細かく思い返せば、色々なことがあった。ただ、映像や言葉達が最も鮮明に残っているのはこの入社時研修かもしれない。
同じ一年少し前に実際にあった、二つの強烈な感情体験。
「遥か昔のように感じる」と「昨日のように感じる」
この差は一体何なのか。
僕なりにぽーっとではあるけれど、でも割と革新を持って導き出した結論が、
「感情が大きく動いた回数」の差、だ。
同じ丁度一年前の記憶でも、
この回数が多いとかなり昔のように感じ、
少ないとつい最近のことみたいに感じる。
年をとると時間が早く感じる=昔の出来事のはずなのについ最近のことのように感じる。
という図式への変換で認識が間違っていなければ、
年を取る=感情が大きく動く回数が減る。
という等式も成り立つ。(500%の私見ですみません)
思えば二ヶ月間のヒッチハイクの後、東南アジア4か国をバックパックで回った。途中に今まで経験したことのない下痢にも襲われた。温帯気候の生暖かい夜風に身を任せて、煙草をふかした瞬間の映像を、鮮明に思い出せる。
そのすぐ後、会津若松→新潟の旅行があった。カナダでも味わったことのないようなブリザードに見舞われ、電車も止まった。丁度そのタイミングで入った時計が沢山あるカフェの内装も、かなり想い出せる。
そのまたすぐ後、中央・東ヨーロッパを、旅した。チューリッヒ空港でただの水が400円以上したことも、カウチサーフィンで泊まった家主がスピードとコカインの常習犯だったことも、クロアチアで出会った女性と一時の恋に落ちたのも、ハッキリと心に残っている。
江戸川区で貧困家庭学習支援をしていたことも、明日やろうとして出来るような体験ではない。
それに比べればこの一年は、
感情が大きく動かされる瞬間を作りきれなかったのかもしれない。
言われたこと、やらなければいけないことをする中に、
今までに無かったような「瞬間」を作れるかどうか。
成功・失敗に関わらず、「生きている」と思えるか。
小さなことに囚われすぎず、世界の大きさと自然の雄大さに心を動かせるか。
大切な人を、笑顔に出来ているか。
自分の直感を疑ってないか。
どうか怠けていたらケツを叩いて、罵って、軽蔑してください。
あんな偉そうなことを書いておいて、結局何が出来たんだ?と。
次の一年を振り返って、奇しくもこの記事を自分で読み返したなら。
あんなことしてたなあ、と遥か昔を偲ぶみたいに想い出せていたら、そんな未来の自分に80点をあげたい。
とりあえず今日は、おやすみなさい。
(少しは腕が上がってきたように思える、趣味カメラ2年目)
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