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「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が紡ぐ永遠の物語

どうも、SaRです。

今回は『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』について書きます。この時期にクリストファー・ノーランの「TENET」と同時公開ながら大ヒットし、初日満足度1位も複数サイトで取っているようですね(両方観るためにハシゴした人)。

TVシリーズ放送時から、ヴァイオレットの成長を見守ってきました。もちろん劇場版は大傑作だったのですが、先週初回を観た時は京アニへの感謝の想いと感動で号泣しすぎたので、2回目では、「なぜあんなに良かったんだろう」という答えを少し落ち着いて探しに行ってみました

そこで見えたもの、そしてこの作品がなぜ「永遠」になるのか、「現在」「過去」「未来」、それぞれの視点を中心に書いていきたいと思います。これを読んでくれた方が、もう一度ヴァイオレットの物語に触れたいと思ってもらえたら嬉しいです。


※重大なネタバレがありますので、未見の方はご注意をお願いします。



「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」で描かれる世界

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」で映し出される世界は、色彩豊かに、光溢れる世界が描かれます。日本が世界に誇るアニメーションスタジオ、京都アニメーションが、技術と経験の粋を結集させて描き出した世界です。

風になびく髪、瞳のきらめき、野に咲く花々、ヨーロッパ風のファッションや建物、雨上がりの水溜り、そして頬を伝う涙…全てが美しく描かれ、映像のどこで止めても絵になります。

作画の美しさは、「ヴァイオレット」で絶賛されるポイントですが、それは何故なのか。つまり、なぜ世界が輝いて描かれるのか。僕は、ギルベルトがヴァイオレットを導いた世界が、こんなにも瑞々しいものだと伝えるためではないかと考えています。

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戦場しか知らない彼女にとって、全てが見たことのないものばかりで、新鮮に写っているのではないでしょうか。作中でもヴァイオレットは、心は幼いままだと形容されることがありますが、自分の幼い頃を振り返ってみても、やはり同じ景色でも、昔は全てが新鮮に映るものばかりでした。

つまり、それが「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品で描かれる、彼女から見た世界です。

一方で、それが「世界は素晴らしい」という単純な話ではないことにも、この作品の魅力があると思います。ヴァイオレットの生い立ちやギルベルトとの別れはTVシリーズで描かれている通りですし、それは他の登場人物たちも同様です。「大切な人に手紙を書いて、その後はみんな幸せになりましたとさ。おしまい」ではないのです。

そう、誰もが知っているように、人生は続いていくし、基本的にままなりません。

TVシリーズ5話で、あんなに幸せな結婚をしたかに思えたシャルロッテ王女も、実は嫁いでしばらくは居場所を失っていることが、「外伝」の入場者特典の小説「シャルロッテ・エーベルフレイヤ・フリューゲルと森の王国」で描かれています。10話で亡くなった母から毎年誕生日に手紙を送られ続けていたアンも、「劇場版」冒頭では、忙殺されている娘と疎遠になっていたことが窺えます。

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当然ですがフィクションだからこそ忘れてしまいがちなこととして、「大切な人に想いを伝えたから終わり」ではないのです。「劇場版」の特典小説「オスカーの小さな天使」には、こんな一文があります。

何かが失われても世界は滞りなく回るのを見るからこそ、日常は残酷なんだ。

手紙で想いを伝えた後も世界は回り続けるし、人生には起伏があって当たり前です。辛いことも沢山あります。しかし、主人公以外の登場人物たちを含め、美談だけを切り取らないからこそ、リアリティが増し、ヒューマンドラマとしての深みが増します。

人生はままならないし、そんなことはお構いなしに世界は回っていく。それでも【今】伝えたい想いは、ここにしかない。だからこそ、大切な人の【未来】へ、その想いを伝えることが大事なのです。

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【現在】での「距離感」「心の揺らぎ」

TVシリーズでシリーズ演出を務めた後、「外伝」では監督に抜擢された藤田春香さんがパンフ内のインタビューで語っていましたが、テレビの16:9の画角と、劇場のスクリーンに合わせた2.31:1とは画面作りが違うと語っていました。

「劇場版」ではTVシリーズと同じく石立太一さんが監督を務めましたが、やはりTVシリーズとは、画面の構成が異なっていました。そこから様々な「想い」を演出していたことに、この作品の演出の素晴らしさがあったと思います。

【現在】という視点から書いていきたいと思います。この視点では、「距離感」と「心の揺らぎ」がキーになっていたと思います。

「劇場版」では、ヴァイオレットは3カ月先まで予約が埋まる売れっ子ドール。多忙な日々を送っており、どこか心ここにあらずと言った様子です。

仕事に忙殺されると、脳のキャパと身体のほぼ全てが仕事に割かれていて、次第に他のことを考えられなくなったり、ある種ちょっと外界から遮断されたような感覚に陥ったり、同じような日々が引き延ばされて、感情の起伏がなくなっていくように感じたりします。社会人で忙しい経験をしたことのある方であれば、覚えがあるかもしれません。

あのどこか現実感がなく自分を俯瞰で見ているような感覚。つまりは、世界や他人との「距離感」の演出が、序盤は顕著だったと思います

C.H郵便社の仲の良い面々で歩いていても、発言している人にカメラの視点が寄ることはあまりなく、引きのカットや鳥瞰視点からのカットが多用されます。特に、式典でイルマが歌う歌を献上した後の市長とのシーン。市長がヴァイオレットのことを理解していない(少なくとも彼女はそう感じている)ことも相まって、ヴァイオレットの目線からは、彼が遥か遠くに立っているような距離感で描かれていました。

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しかし、家族に手紙を遺そうと電話をしてきたユリスとの出会いから、一気に寄りの表情が見えるショットが増えていきます。ヴァイオレットの表情もガラッと変わります。

この視点での演出としては、「感情の揺らぎ」がメインになっていたと思います。気持ちが沈んでいる時や、フラットな時は引きのカットで、感情が昂った時に寄りのカットになります。ユリスのお子様割引のくだりのような生き生きするシーンもそうですし、反対に、「なぜ少佐に会えないのか」とホッジンズに抗議する時もそうです。

終盤に向かうにつれて、更にカメラ位置は近くなっていきます。しかし、しっかり顔を映して寄りになるのはここぞという時。いつも寄っているわけではなく、寄るべき時に寄るというメリハリが、画角が横に広い分、TVシリーズより際立っていました

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これは画面の構成だけでなく音楽も同様で、観客に聞かせる会話のシーンなどでは、環境音のみの箇所もありました。

舞台挨拶でも、ヴァイオレット役の石川由依さんが、ギルベルトとの再会シーンで、アフレコ時に鶴岡陽太音響監督に言われたことについて「『石川が思っているヴァイオレットが正解だから。好きなようにやって』とまかせていただいて。『ただし音(劇伴)も入れないから』と言われてすごいプレッシャー(笑)」と語っていました。

【過去】への「喪失感・寂しさ」

一方、【過去】という視点では、「喪失感・寂しさ」が描かれていました。

戦争終結から4年ほど経ち、ヴァイオレットのギルベルトへの会いたいという気持ちも、テレビシリーズの頃ほどの燃え上がるようなものではなく、静かに揺らめく炎のようになっています。

それは、もちろん情熱が消えたということではありませんが、冒頭のお祭りでの「届かない想いはどうすれば良いのですか」というセリフのように、行方不明になって何年も経つギルベルトとの再会を、ヴァイオレットも半ば諦めていたのだと思います。

先ほど挙げた市長との会話での、戦争の話のくだりでも、海をバックにしたヴァイオレットの姿を描く際に、人物のバックの背景のスペースを大きく取ることで、「喪失感」や「寂しさ」が演出されるカットがあります(下の引用している画像よりも全身が映るほど引き、ヴァイオレットの左側に大きくスペースが取られます)。

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この喪失感や寂しさは、ギルベルトが右腕を失くしてから、日々農作業などの手伝いをしているにも関わらず、ヴァイオレットのような義手をつけていないことや、右目にも眼帯をしていることで、失ったものが際立ちます。自身への戒めもあるのかもしれません。彼が教えている子供の一人が、右前脚を失くしたカマキリの死体を見せることもそうです。

一番空いた空間での喪失感や寂しさの演出がわかりやすいのが、ライデンでの電波塔完成のお祭りのシーンでのホッジンズ。いつもヴァイオレットが居たはずの少し後ろに思わず声をかけるシーン、ベネディクトでなくとも声をかけてあげたくなります。

また、市長との会話のシーンのヴァイオレットとは、終盤での崖でディートフリートと会話するギルベルトと、対比になっています。昼間の青い海をバックにしたヴァイオレットと、夕焼けに赤く染まった海をバックにしたギルベルトです。ここも喪失感や寂しさが滲むシーンです。

そして、ヴァイオレットと会うことを決意するにつれ、カメラは次第に寄っていき、最後にギルベルトは駆け出します。


【過去】から【未来】への「対比」と「繋がり」

過去への視点では、キャラクターどうしの「対比」も多く描かれます。

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弟を疎ましく思いつつ、それでも愛している兄・ディートフリートとユリス。

自分のせいでギルベルトの生き方を狭めてしまったと感じているディートフリートと、結局自分がヴァイオレットを女の子ではなく武器にしてしまったと感じているギルベルト。

未来のアンヘ手紙を残した母と、未来の家族へ手紙を残したユリス。

母(過去)から手紙を受け取ったアン(未来)と、ヴァイオレット(過去)の生きた証、アン(過去)のために紡がれた思いを受け取ったデイジー(未来)。

これは、過去だけでなく、未来への「繋がり」です。ヴァイオレットとギルベルト、それぞれの関係や抱える想いに対比となる関係を描くことによって、二人を他の視点でも見ることが出来ます。

ヴァイオレットやホッジンズがTVシリーズで「身体が知らない内に燃えている」と語った、自分が過去にしたこと。それは、ギルベルトがねじ曲げてしまったと責任を感じている、ヴァイオレットの少女としての未来、そして戦争で命を奪ってしまったという【過去】があります。

しかし、一方でこれは、ライデンシャフトリヒを守り、ヴァイオレットに与えた存在意義や「愛してる」の言葉という「道しるべ」、そしてエカルテ島の人々への献身という、【未来】を与えたという行動も、変わらないということでもあります。

それは、TVアニメ9話でホッジンズがヴァイオレットに言ったことそのものです。

してきたことは消せない。でも…、でも、君が自動手記人形としてやってきたことも、消えないんだよ。

【過去】の自分の行いをなかったことにするのではありません。しかし、同時に【未来】への繋がりを作ったことにも、目を向けていいんだよという、許しのメッセージを、ギルベルトにあげたのだと思います


【未来】から【永遠】へ繋がる「想い」

原作者の暁佳奈先生は、「外伝」のタイトルにもあった【永遠】という言葉について、前作・今作ともにパンフで触れています。

「外伝」では、「人は永遠というものを作れると思うか」ということについて、

たとえばですが、貴方には大好きな人形があるとします。実はそれはとうの昔に失われてしまったのですが、貴方は知りません。知らないので、貴方は失意もなく永遠に愛し続けます。こうなるとこの永遠は更新されない「情報」に近い。けれど、貴方が人形は失われていることを知っていた場合、それでも愛した時間を刻み続けたいと行動を起こす時。それはきっと貴方が作り出した永遠です。とある少女は彼女の全部と引き換えに永遠を作り出しました。貴方が誰かにこの作品を伝え続けてくれる限り、この作品もまた永遠となります。

と綴っています。

また、「劇場版」のパンフレットでも下記のように書かれています。

碧い瞳の女の子……ヴァイオレット・エヴァーガーデンはいつも変わらず此処に居て貴方を応援しています。貴方が彼女を好きだと思ってくれた瞬間は『永遠』です。

劇中での手紙は、その中で伝えたいと願った人の「想い」は、未来へと繋がっています。確かに人生はままならず、未来には辛いことが待っているかもしれません。でも、今、誰かが誰かを大切に想う気持ち、そしてそのために行動を起こした時、それは【永遠】になります。

「外伝」でテイラーが、ベネディクトが届けたイザベラからの手紙について、こう語ります。

ねぇねと一緒にいたときのこと、もう忘れちゃったけど、この手紙は残ってる。ねぇねが居たこと、私を想ってくれてたこと。師匠が運んでくれたのは、【幸せ】なんだ

この【幸せ】こそ【永遠】です。言葉は、誰かが誰かを想いそれを行動に移すことは、ずっと心に残り続けます。

「劇場版」では、何度観ても涙が止まらなくなる、ユリスの最期のシーン。ユリスが両親へ伝えた「二人の子供に生まれてきてよかった。大好き」、シオンへの「生まれてきてくれた時、嬉しかった。僕をお兄ちゃんにしてくれてありがとう」。

そして何より、死に際のユリスにリュカが言った、「僕たちずっと友達だからね」という言葉。「天国に行っても…」とか、そんな死をイメージさせることではありませんでした。あれこそが、紛れもなく【永遠】のメッセージでした。正直、今この文を書いていても涙が出てきます。

そして、だからこそ、「劇場版」で、ヴァイオレットがギルベルトに送った手紙について、「最後の手紙」と言ったこと、そしてその後彼らが結ばれたことを考えると、もう手紙を使わずとも想いを直接伝えあえるようになったという、今度こそヴァイオレットが本当の幸せに包まれる未来を、願わざるを得ません

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「想いを文章にすること」は【永遠】

「ヴァイオレット」の物語の舞台となる時代では識字率がまだ低いため、ドールの仕事が活躍しているわけですが、現代日本では、SNSや学校、仕事など、沢山の人が日々自分の文章を綴っています。

noteのような長文や、何かの記念でもない限りめっきり書くことは減ってしまった手紙を書く時により強く感じやすいことですが、想いを文章にすることは、自分自身や、内に抱えた思いと向き合うことだと思います

ヴァイオレットも

手紙だと、届けられるのです。普段言えない心の内も。

と語っています。現代では、LINEやメール、最近の高校生はInstagramのDMでやり取りすることが多かったりと、「手紙」という形態以外にも、人に文章で想いを伝えられる媒体は増えました。

むしろ手を動かして自分の字で手紙を書くことは、こうしたデータとしての言葉を表すよりも、ある種の価値が出ました。しかし、それは、直筆こそが至高ということとイコールではありません。

「自分の想いを伝えること」、それにこそ価値があります。つまり、今しかない気持ちを言葉で表現するために、行動に移すということ。それはまさしく【永遠】です。僕が、そして多くのファンが愛した「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」と言う作品、そしてタイトルロールの女性を好きだと思ったあの瞬間のことです。

そして、僕たちが、作品や彼女への想いを言葉にする限り、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品は【永遠】になります。だからこそ、僕はこれからも、何度もこの作品を観て、何度も人と語り合いたいと思います。

最後に、特典小説の中でも特別に好きだった、「ベネディクト・ブルーの菫」の言葉で、今回は絞めます。改めて、「劇場版」の公開ありがとう、そしておめでとう。

お前は神様に嫌われていた。でも、自分で変えた、最高に面白い奴だ。お前の行動は、一つずつ、確かに人を変えていった。俺は見ていた。俺は、ちゃんと、見ていたぞ、ヴァイオレット・エヴァーガーデン。

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※画像引用元

・「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」公式Twitter


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