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ミヒャエル・エンデ

「モモ」がきっかけになった。


「モモ」が私たちをつなげてくれました。そう、私と佐伯龍蔵くんの共通点は「モモ」が大好きだったということです。実家と東京の家に2冊あるという点においてもそう、初めて出会った時にはすぐにミヒャエル・エンデの話になったのでした。

初めて会った時、彼はこう言いました。「俺、モモを撮りたいんだよね。」
そう聴いて、率直な私の気持ちは「原作が宝物みたいなものだから、下手に私はやろうとは思わないな、、、。」と思いました。あれはもう9年ほど前だったでしょうか。
それからことあるごとに「お金の話を撮りたい。」と聞くことが増えました。お互い別の作品を撮ったり協力して作品を作ることが増えてきた時、今年の2022年、1月、二人は決意しました。
私としてはお金をテーマにどうやって作品にするか自信がなかったのですが、

お金に対しては謎が多いし、答えは見つかってはいないが今撮るしかない。

と、直感的に思ったのです。そんな気持ちでこの大きすぎるテーマに私たち2人は挑むことになったのでした。
そして改めて原点に帰るべく、ミヒャエル・エンデの言葉をもう一度読みました。そこにはこんな言葉がありました。


みんなはさっそく、モモの住んでいる半分くずれかかったへやをかたづけて、できるだけ住みやすいところにすることからはじめました。なかにひとり左官屋がいて、小さな石のかまどまでつくってやりました。さびたえんとつも、とりつけられました。年よりの指物師が、古い木箱の板をつかって、小さなテーブルをひとつと、いすを二つつくりました。そしてさいごに女の人たちが、うずまきもようのかざりのついた使いふるしの鉄製ベッドと、ちょっぴりやぶれただけのマットと、二枚の毛布をはこびこみました。廃墟の舞台下の石の穴ぐらは、これできもちのいい小べやになりました。絵ごころのある左官屋は、さいごのしあげに壁にすてきな花の絵をかき、それに額ぶちと止め金までかきそえました。
 そのあとこんどは、みんなの子どもたちが食べもののおすそわけをもってやってきました。ある子はチーズをひとかけら、ある子はパンをひとかたまり、ある子はくだものをすこし、というぐあいです。子どもの数がとてもおおいだけに食べものも山ほどあつまって、その晩はみんなでモモのひっこし祝いにちょっとしたパーティをやれたほどです。まずしい人たちだけがやり方を知っている、心のこもったたのしいお祝いになりました。
(ミヒャエル・エンデ「モモ」より)


これってお金のやりとりは行われていないのに、とっても素敵なやりとりだと思いませんか。私たちが必要としていることって実はこういうことなんじゃないかと改めて思いました。周りを見渡すと、そんなことを自然にやっている仲間やコミュニティがたくさんありました。
私たちが知らないだけでもどれくらいそんな素敵な価値と価値の交換が行われているんだろう。

もっと出会ってみたい。知りたい。そう思うように映画を制作していきました。

緑茶麻悠

映画「ロマンチック金銭感覚」
京都出町座2023年12月8日先行ロードショー
https://demachiza.com/movies/14211




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