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人生には不安が付き物だから


最近、うちの息子には不安なことがあります。それは小学校まで一人で行かないといけないこと。といっても、まだ半年先の話です。「お友達と一緒に行くから大丈夫やで」と言い聞かせますが、とにかく不安で仕方ないようです。そこで思い出したのが『ドキドキドン!一年生』という定番ソング。じつは私も入学前に不安になり、この歌を耳にするたびにソワソワしたものです。

そんな思い出深い歌の中に「誰でも最初は一年生。ドキドキするけどドンと行け」という一節があります。確かにその通りで、最初は誰だって不安や心配を抱えながらスタートするもの。失敗もするし、恥ずかしい思いもする。でも、それを繰り返していく中で少しずつ慣れていくものです。息子の成長を見ていると、そのたびに「自分もそうやったなぁ」と懐かしくなります。

ただ、人生という大きなステージで考えてみると、私たちはいつだって一年生という一面があります。たとえば、私は今年で44歳になりました。もちろん、44歳になるのは初めてです。お寺には人生の先輩がたくさんいますが、同じ歳を何年もやっている人はいません。毎年必ず新しい年齢になっています。そういう意味では、いつも一年生だということです。

もう少し細かく考えてみると、今日という日を迎えるのは誰もが初めてです。「じつは二回目なんですよね」という人は絶対にいません。つまり、私達は毎日、毎日新しい日を迎えていて誰もが初体験であり、今日を生きることに関しては誰もが初心者だということ。そう思うと人生に不安や心配があるのは当然のことで、何もおかしなことではないのです。

特に、仏教では「無常」ということを教えます。簡単に言えば「永遠は無い」「常に変化している」ということです。この変化には良いものと悪いものがあります。もし、良い変化にピントを合わせることができれば夢や希望を抱くことができます。しかし、悪い変化にピントを合わせてしまったら不安や心配を抱くことになってしまいます。

こんな風に書くと不安や心配が悪者になってしまいそうですが、そんなことはありません。なぜなら不安や心配を抱くからこそ、私たちは将来起こり得るリスクに備えることができるからです。たとえば、うちの息子が成人になるまで私が生きている可能性もありますが、生きていない可能性もあります。私の願いとしては「生きていたい」ですが、絶対にそうなるとは言い切れません。だからこそ、私は生命保険に入っています。もし、生きていられなかった時に経済的な不安がないようにと思うからです。

こういった形で将来に備えている方もあると思いますが、これだけでは全ての不安は拭いきれないものです。やはり「生きていたい」という願いを叶えるアクションを起こしてこそ、不安や心配は解消されていくもの。それを可能にするのが仏教であり、信心なのです。

仏様は「考えてもわからないことは考えなくていい」「どうなるかわからないことは全て私に任せなさい」と仰っています。それは私が息子に対して「大丈夫やで」と言うのに似ています。もしかしたら、その言葉自体に説得力はないのかもしれません。でも、私や家内が声をかけるたびに「お父さん、お母さんがそう言うなら…」と、一応の安心を得ているに違いありません。あとは実際に自分が体験する中で、その安心を確かなものに変えていくのです。

お寺、ご信心というのも同じで、仏様の言葉だけで救われる人はいません。目の前にいる僧侶や信徒と共に、仏様の教えに導かれてアクションを起こしていくことで不安や心配は解消されていきます。そうは言っても、僧侶や信徒も不安や心配を抱える一人であり、決して完璧ではありません。ただ、お父さんやお母さんを信じている子が迷わないのと同じで、仏さまを信じている僧侶や信徒は迷いません。それこそ「ドキドキするけどドンと行け」で、確かに歩みを進めることができるのです。

 人生に不安や心配は付き物ですが、それと同じだけ安心も付き物です。そのことを一人でも多くの方に知って欲しいですし、実際に体験して欲しいと思います。ぜひ、お寺で不安と安心のバランスを整えましょう。どんな状況、条件であっても誰もが幸せになれるのですから。


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